何故三枝氏がという疑問

三枝氏はひいろももこさんへの恋心を毎夜宿のおかみ相手に漏らし続けたという。
それほどなら何のことはない、と本名愛ちゃんに思いを晴らさせ、内輪の婚姻式を挙げさせる。
愛ちゃんの顔の特徴からかりんとちゃんとも呼んでいた。
二人は晴れて夫婦生活を送り、二人の息子と一人の娘を儲ける。 
これだけの式次第の子孫であるからには、もはや名家三枝氏の奥州分家三枝氏を名乗って、堂々と、時が時なら陣を張るほどの自覚に不十分はない。 野良の落とし子などと並べられようか。
しかし別れの時が訪れる。 サイドの苦言が効きすぎたのだそうである。
一人沢内のお寺に寄宿生活を送る。 このお寺は流人を泊める伝統があるようで、有名人の何人かが記録されている。
かくして奥州における三枝氏の伝記を収めることとしたい。

三枝氏は本来父親たれと奥州に呼ばれたのであるが、なかなか軽蔑的で、くさむらのマムシ女とわざと列車中で交接、その心は列車に轢かれてしまえ草マムシと、わざとレール上をちょっちょっと渡り歩く儀式付。 しょんべんしてきたぜ、と駅前のトイレから出て切符窓口で発言したという。
その三枝氏がなぜ急きょ奥州にリターンしたのか。
「えっ、スバル英したのか。」 赤ん坊を点検する。 五体満足であった。 スバルよ、とは氏の心を確かに掴んだ歌であったのか。 文字があったという。
願いは、もう一つ沢内氏かその家臣の一筋があればいい、と語っていたという。

あからさまなことを言えば、結局は何ゆえに三枝氏が奥州に関りを持たせられたのかという疑問がある。
すったもんだのあげく、全くの門外漢。 何の意味合いの登場なのか。 迷惑相続というストレス因の他はない。

節子さんはその子を東京で育てましょう、と希望したそうであるが、実現不可能。
子連れ狼の大五郎は節子さんを写したもの。 錦之助さんと一緒に奥州に上って、関心が深かったようである。 
北方の血筋が確かめられる、ということであろう。 ペギー葉山来のシベリア人の特徴が。 
なんで他の人のように色が白くない、と風呂場でゴシゴシこすられてなじられたことがあったという。 「ごめんなさい」 途中経過があったようである。

岩谷堂丘から元水沢市方面

急報あり。
列車中で会った女性は彼の地の上の家周辺の娘さんなぞでは決してなく、どこか他所から借り出された娘さんであったようだ。
そしてその出産された子供は男子で、立派に発育活躍されておられるという。

もしかしたらそのご子息は何と、黒沢尻北高校で筆記者と同級生となり、三年の時にはちょうど目の前ひとつあけた席に座っていたのではないか。