青い光赤い光の続き
空が青いのは青い光が空から降ってきて、眼の中に飛び込むからである。
つまり、実際は、空自体が青いからではなく、空中にこそ、光線として青い光実体が飛び向かい充満しているからである。
本日の感慨
朝目を覚ますと空が青く、世界は輝いている。
犬を連れて飛び出し、川の掃除の続きに向かう。
二時間も格闘したであろうか, 腰が痛くなって川岸に上がる。
今炬燵に入って、濡れた袖口を乾かしながら、インターネットを開いている。
今はてなに戻り、プログの記事、なぜ空が青いか、光の生態について書き直せるとは考えてもいなかったことである。
締りのない人生に出入り口の扉を付けたような感覚である。
すでに何冊かの本を発行している。
何と一冊はブッシュ大統領の本棚に載っていたという。
過ちも多い日記そのままを印刷しただけの本であった。
今度はテーマパークのような構成で、当たり前に読み直し編集を経た内容のものとしたい。
実際は本などにするよりも、フェイスブック等に書いている方が、思いもかけない読者人数を潜み抱えているものである。
そして、空が青いのは青い光が空にあるからではなく、青い光こそ地表に走り込んでくるからであります。
波長が長い光は反射が少ない。
しかし夕日は赤い。 これは何故か。
かえって青い光が反射によって妨げられるからである。
空の色は反射によって届く。 夕日の色は障害を越えて直接に地球に届けられる。
青と赤の違いの理由である。
青空が空いっぱいに広がっている日は、青い光が地表に降っているわけだから、その分遠くの山並みなどが青みがかって見えているはずである。
水もなかなか青い光を弾く方であるようだ。 曇りの日も海はどちらかというと青い。
元水沢市方面
記事の訂正 光の行く末
このブログ記事で明らかに誤りであったと記憶されている部分があります。
科学記事で、光は氷や雲、海水に留まっているような書き方をしていたはずです。
恥ずかしい過ちでした。 すべて書きなぐりのまま無責任に放置しているのでない証拠にも、お詫びと共にここに訂正させていただきます。
光は一秒間に30万キロも走って、決して休むことはありません。
対流圏の外、成層圏にまで及びます。
夜間部屋の中にいて明かりを点けているのですが、部屋が明るいのはライトからの光が滞留しているからではなく、次々とライトから供給されている光によって明るいのです。
一秒も何もないうちに光は一度反射したぐらいで外に走り、あっという間もなくエベレストの3倍ぐらいの高さの空にまで走り逃げます。
必ず結局は空に出ていくという事は、一秒間に何十回か反射しているうちには結果として遂には広い上空の方に出てしまう、という説明でも理解できるでしょう。
この部屋の中の光は一時も止まらず窓から外に出て、空に向かい、宙に走り去っている。 一秒もかからない、宇宙空間に向けての次々とした逃亡です。
いくらかは地球空間内に収まるのではないかと考えてしまうのですが、とにかく光は大急ぎで休むということを知らない。 とどのつまりは例外なく広い方の方角に向かうことにならざるを得ないのです。
室内の光は忙しく次々と夜空に消えていく。
昼の室内外こそは次々と注がれる太陽光によって明るいのですが、その光も同じように地球空間に留まっていられるようなのんきなものではないのです。
とにかく光は一瞬たりともどこにも留まっていない、大忙しのものなのです。
そして必ず、地球の外に飛び出てしまわずにはいられない。 それも、もしかして一秒か二秒の間に。
ワーッと忙しいばかりの光の様子が目に見えないのです。
二条城諸侯会議について
新選組と時を近くしていたのであれば、天保の床几会談というのは誤りであった。
仙台藩では、重臣の一人が脱藩しても、と反対を示したので、候はやむなくささやかな請求にも応えることができなかったという。
すなわち、捕り物帳筆記の為の机を届けること。
一応、日本のテレビ放送年月を一度も欠席せず、最後まで勤め通す予定の徹子さんという役目は、お父上の与えた命題によるものだという。
結局は何かの派出で、諸侯会議のメンバーは完全欠席とはならなかったと言えようか。
机といったって、徹子さんのおしゃべりに倣うので十分じゃないか、という一つの見通しのようなものが見えていたことがあったのかもしれない。
玄関先に机のような庭石が置かれている。 これはしかしどちら様のお志であったろうか。
何故三枝氏がという疑問
三枝氏はひいろももこさんへの恋心を毎夜宿のおかみ相手に漏らし続けたという。
それほどなら何のことはない、と本名愛ちゃんに思いを晴らさせ、内輪の婚姻式を挙げさせる。
愛ちゃんの顔の特徴からかりんとちゃんとも呼んでいた。
二人は晴れて夫婦生活を送り、二人の息子と一人の娘を儲ける。
これだけの式次第の子孫であるからには、もはや名家三枝氏の奥州分家三枝氏を名乗って、堂々と、時が時なら陣を張るほどの自覚に不十分はない。 野良の落とし子などと並べられようか。
しかし別れの時が訪れる。 サイドの苦言が効きすぎたのだそうである。
一人沢内のお寺に寄宿生活を送る。 このお寺は流人を泊める伝統があるようで、有名人の何人かが記録されている。
かくして奥州における三枝氏の伝記を収めることとしたい。
三枝氏は本来父親たれと奥州に呼ばれたのであるが、なかなか軽蔑的で、くさむらのマムシ女とわざと列車中で交接、その心は列車に轢かれてしまえ草マムシと、わざとレール上をちょっちょっと渡り歩く儀式付。 しょんべんしてきたぜ、と駅前のトイレから出て切符窓口で発言したという。
その三枝氏がなぜ急きょ奥州にリターンしたのか。
「えっ、スバル英したのか。」 赤ん坊を点検する。 五体満足であった。 スバルよ、とは氏の心を確かに掴んだ歌であったのか。 文字があったという。
願いは、もう一つ沢内氏かその家臣の一筋があればいい、と語っていたという。
あからさまなことを言えば、結局は何ゆえに三枝氏が奥州に関りを持たせられたのかという疑問がある。
すったもんだのあげく、全くの門外漢。 何の意味合いの登場なのか。 迷惑相続というストレス因の他はない。
節子さんはその子を東京で育てましょう、と希望したそうであるが、実現不可能。
子連れ狼の大五郎は節子さんを写したもの。 錦之助さんと一緒に奥州に上って、関心が深かったようである。
北方の血筋が確かめられる、ということであろう。 ペギー葉山来のシベリア人の特徴が。
なんで他の人のように色が白くない、と風呂場でゴシゴシこすられてなじられたことがあったという。 「ごめんなさい」 途中経過があったようである。
岩谷堂丘から元水沢市方面
急報あり。
列車中で会った女性は彼の地の上の家周辺の娘さんなぞでは決してなく、どこか他所から借り出された娘さんであったようだ。
そしてその出産された子供は男子で、立派に発育活躍されておられるという。
もしかしたらそのご子息は何と、黒沢尻北高校で筆記者と同級生となり、三年の時にはちょうど目の前ひとつあけた席に座っていたのではないか。