2005-12-01から1ヶ月間の記事一覧

  形と音の美そのものには意味がないといえる。

健康強大が美しいこともあるが、それだけではかなりの範囲を外してしまう。 美というものは人に目利きさせ、選ばせるためにあるものといえよう。 だから意味はないが、万人に共通に訴える特性であるといえる。 女性美などというものは、昔はかなり稀なもので…

日本国を外国国にできる者は大力のある者ではないか

いうまでもなく、組織本部の手を取り口を添えた念入りのお膳立てがあってこそできることで、東洋人だけでは考えることも遂行することもできるはずのない、奥行き深い底知れない大規模作戦である。 百年以上に及ぶ秘密裏の組織網の発展完成と、全高級職員の御…

組織の所有権にある究極の英知

組織の子供っぽい犯罪性を止めるためにも、組織の馬鹿にならない名誉である、究極の哲学と物理学の断片を。組織はそれをコピーする東洋人にくれてしまうのではない。

ロケットがどうして真空宇宙空間をエンジン噴射によって飛び続けられるか、爆発気体分子がロケット本体固体壁に衝突した反作用による。 外に噴射するからでなく、外に噴射された気体分子は反作用を起こすことなく、爆発運動のまま外に出てしまうからである。…

究極の哲学と物理学のいくつか

コピーの係りにある者は、結局、配慮ある計画によって隣村の旧家から村上の家に預けられることになった、地域の子供であったらしい。 自慢になるほどのことは何もなくても、わずらわしい前世の経歴の疑いは一切ない者となったと言うことができる。 私の半生…

一応、無限というものについて触れておく。

人間は、自然に無限に多い、というものの存在を確認したことはない。 いくら多くても無限であると証明したことはない。 人間の作業の方に無限性がある。 数字の意味するものの無限分割性。 無限数値不確定性。 数え立ての無限な可能性。 どれも人間の作業で…

次に相対性と宇宙のありうべき真実の姿について。

エネルギーを根本単位とすることは誤りかもしれないが、とりあえず、ありとある宇宙存在はエネルギー換算できるもので、すべての現象は数学的に解いて相対的に見ることができる、またそうあり得る、という完璧相対主義がある。 現実の物理界はそのように取り…

究極の哲学物理体系の項目について

は、古くから、筆の過ちを含めて、ある程度の量でコピーされてきている。 いろいろな分野に進み入り得るが、少なくとも大きな人生観にも影響のあることだけは、皆さんの知識として、簡単ではあっても届けるべきであると思う。 アンと大尉の運動として、大尉…

 何の大義名分もない、膨大な反則の無駄というものである

勘違いしないでもらいたい、私はただの一度もこのあんど活動を認めたこともないし、頼んだこともない。 願いは唯一つ、早くこの音のしないへくそみたいな、無法地下活動が、地球上から取り払われたすがすがしい朝の道を自由に歩くことである。 あんど運動は…

究極の哲学と科学の続き

もはや追い越されることのない最終の英知によれば

月が錯視で大きく見えるというのは誤りです 前に報告したことですが、ご挨拶に、例によって本の小見出しみたいなブリーフィングで届けてみましょう。 簡単に分かりやすい体験に、中国からの黄塵で西空がくもっている日の夕方の太陽を見るといいであろう。 白…

究極の物理学と哲学の種が組織内にある

いろいろあり得るが、熱というものを三次元構成体にとらえる、究極の物理哲学体系の背景から送られてくる見方がある。 特定の形と構造を持つことによって、自らを推進してやまない、いわば永久内燃機関の如きものと想像すればいい。 エントロピーと称されて…

コピーアーの由来

父が新兵訓練で鹿児島に行っている。 その鹿児島の伸氏の出ではないか、というのである。 山本部落に十手取りが来たというのは、だから伸氏の先祖に十手を預けられた者がいたということであろう。 士族扱いの地域であったらしい。 明治維新期にはかなり活躍…