2013-11-01から1ヶ月間の記事一覧

藩派遣の「近藤武者」は、室内に入るなり難しい話を切り出した。 「分かるだろうが、」という切り出し文句までメモに残されているようである。 

大体の事を言えば、先頃佐橋の若者が山中を徘徊し、番所において酒手を無心したことがある。 構え無きものとして即無礼討ちにあったのであるが、これは何かと連動した謀反心の表れとも考えられる。 雄心抑えきれない元城主子孫のはみ出し行為という裁きであ…

昨日大川橋蔵の懐かしい時代劇を観た。 その日、上の家の太陽は没したか、否、水平線以下に没しなかった、と新吾は判定した、というような映像メッセージが秘められていた。

どうしてそんなに上の家の事を映画の種に仕込むのか、と憤りを感じている方もあろう。 訳もなく組織が300年も前に決めた事だから、言った方が早いのかもしれない。 世界史運動においては、殆どロゴマークぐらいの意味しか有していないモチーフ実体と言えよう…

江戸時代における上の家の実態

隣家のサルスベリの花。 われは(京都において)殿上人であった者である、とみちのく文化地下活動の仲間入りを断ったことがあったと伝えられている。 となると周りの仲間内において、一人、いかにも稼業廃れたが如くに貧しく見え、相談客も減って更に祭壇祭器…

平泉古都の人脈図には、おいそれとは記し終えられない一寸した奥行きがあった。

このような短い地峡自体からは、河口の大きな半島や島々の形を成すエネルギーは生じない。 東側からの大奔流の跡であることは疑い得ない。 伝えられているメモそのものの客観性も疑われなくもない。 何しろ一千年近くも前の就職事情である。 訳あって、蒼前…

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美容院。 飲み物でも可能な現場条件下にいることであるが、とにかく肌を透す薬品が大活躍中のようである。

紀氏神官団はやがて藤原氏斯波氏南部氏伊達氏と巡り合う 

紀氏神主以下の神職役人と田村軍残兵との結合体は、雫石川を望む滝沢村辺りでむしろ子孫を殖やして代々を繋いでいたものと想像される。 奥州藤原氏以後には、斯波氏が未知の土地陸奥の奥地に開拓者の如くに赴任させられる。 居城は北上川沿い高清水城。 更に…

湯田村本内に神官として紀氏二人連れは赴任する。

江戸時代まで代々侍勤めをしてきた平泉多勢と、本内二人連れとはどこで道を違えたのであろうか。 二人は岩手山麓の岡を下って、「商家」をして暮らしていたのだという。 平泉までの二人行は楽なものではなかったと思われる。 「今はこういう形で出ております…

岩手山麓に赴任した神官グループのそれぞれ

世界史共通のオンリーワン・ファミリー時代の運命として、名家は勝者でなければ必ずや敗者であり、身を伏せて生きて行かなければならない矛盾律に与かる。 本人が大伴氏や物部氏や蘇我氏や紀氏を名乗ることはなかった。 紀氏が、田村麻呂愛馬(天皇賜与の名馬…