2013-10-01から1ヶ月間の記事一覧

紀氏は大将から始まっていた。

紀生磐は、465年雄略の命の下、大将として新羅征伐に向かった小弓の子である。 小弓は蘇我韓子と大伴談ら従えていた。 大伴談は戦死し、小弓は病死する。 子の生磐は父後継の大将小鹿火を怒らせ、小鹿火は韓子を唆し生磐を暗殺しようとするが、韓子は返り討…

紀氏伝解釈続き

前回はつい、調和も言葉の整理もなく、日中間の懸案について思いつくままの証拠陳述に走ってしまい、お見苦しい限りでした。 いくらか訂正してそのままにしておきます。 主宰者世界史の探偵という仕事は他に誰一人為すことのない突拍子もない請負事務であっ…

紀氏伝解釈続き

神話に拠れば、国家初期最高家系としての臣連中、原点からの道連れとして定かであるのは中臣氏である。 大伴氏物部氏共に徒次における心服者のようにも読み取れる。 中臣氏は神別氏族として天皇家系に親しい縁が考えられる。 眉毛の長い藤原氏のプロフィール…