2005-05-01から1ヶ月間の記事一覧

 女性の人権が安く侵されないことを願って

サッカー古祭について触れたことがあったが、ローマ時代の報告によると、昔ケルト人は血を見ると酔ったように興奮し、敵の首を討ち取ると家の門先に掲げるしきたりがあったという。 ケルト人というのでもないが、フランシスコザビエルのような平らな額が、ア…

 殺人を犯して反省のない人のお世話にはなれない。組織活動員とはいえ、全部殺人を面白がる人だけとは思えない。あまりに人間性が薄い。異常である。

「手でも汽車を止めて組織の仲間入りをしたんだよ」 「汽車を止めて」というのはその時のことなんだ。 印象深かったんだな。 アンテロープみたいに、荒野の青少年として組織に出合ったというだけの事であろう。 昔のみすぼらしいことなど、武力支配による差…

 自分でない別の犯人を描こうという気だから、思いっきり殺人鬼なのである。自分でない悪人がいるのだから。また現実の犯人を作るのもうまい。

ピクルスの続きの話だが、俳諧短歌とでもいうような気の利いた短い一行詩を発表していた先生がいた。 この運動について、自分の置かれている状況について気が付き始めたのは、この一行詩を載せていた「短歌人」という短歌同人誌に出会ってからであった。 地…

一夏にうなぎ上りに数が増えたという

西洋人の側にすでにそういう背景があって、「昔はそうやって凌いだものだ」という先人の教示みたいなことばが取り憑いていたようである。 そういう様子がことばの響きとともに届けられていた。 そしてすでにその時点で、組織の基本方針として、やらなければ…

 人を物のように散らして遊ぶ者の心を見つめようではないですか。冷酷で嫌らしいものではないですか。

そんなだいそれたことをして、その分誰かが偉くなるという計算がありますか。 一般市民の誰からも見下げられるだけでしょう。 犯人の心は、自分が直接その犯行を欲してやむなしでやってしまったというのではなく、犯行を欲する心、喜ぶ心を他人に描くように…

父、健一の生活

天井板を張る作業の時に、暗くて、電気が欲しい、と言ったという向かい側のエピソードを、健一の人生もいくつか負わされるのであるが、健一もしょっちゅう、とっぷりと日が暮れて真っ暗になるまで、大工仕事をしてきたものである。 夕食に家に入る時は、8時9…

 雫石衝突事故では、空中で機体が分解し、朝日の中、人体が白く光って舞い降りてくるのが見えたという目撃者の新聞記事を思い出した。

こういう事故活動との関わりから、ずっと後の人間関係が装われていることがあるという。本人にはあずかり知らぬことであるが。 落ちたものだ、落ちたものだ、拾え、拾え、とか殊更に「ざま」に言ってけしかけて、罪のないうら若い女性を使い物にし、思いつい…

 いろいろな東洋人極悪人のプラモデルを世界博物館に展示するぐらいの気で、思いっきり残忍な活動を指示し続けてきたのである。引き受けるものではない。本当に、犯人というものも丸ごと身代わりしてもらえると思って、自分はいつまでも見つからないものと思ってやってきたものと思う。そういう性格で今も、使ったうら若い女性を指差して、やったやったと言い立てる作戦を下しているのである。

思えば、桂後沢の吉右衛門の家は、正しく役人様不十分と雫石方面まで、注進に及んだ家であった。 コピーアーの家の前に、注進けね、という銃口点があるようだが、意味がわからなかった。 本は読むもので、「坂の上の雲」に、役人言葉として、注進が出ていた…

 殺人活動に反対している先生と書いている

本来コピー役をしているコピーアーなど、透明人間みたいに無視すべきものであるが、うるさく言い立てる作戦があるようなので、その人生を紹介しておこう。 勘違いさせて悪いことをしようしているようでもあるから。 昭和26年2月22日が誕生日である。 中学の…

 人を殺めることに反対している先生方と書いている

「無刑録」を書いた芦東山の生家は大東町渋民村の名主の家であるが、その隣に伊達藩主が領地巡回の際宿とするための館がわざわざ建てられていて、今記念館として利用開放されている。 その庭先に六十六部回国供養の石碑が麗々しく建立されていた。 近くの神…