自分でない別の犯人を描こうという気だから、思いっきり殺人鬼なのである。自分でない悪人がいるのだから。また現実の犯人を作るのもうまい。


ピクルスの続きの話だが、俳諧短歌とでもいうような気の利いた短い一行詩を発表していた先生がいた。
この運動について、自分の置かれている状況について気が付き始めたのは、この一行詩を載せていた「短歌人」という短歌同人誌に出会ってからであった。
地下に人間がいること。
何だか「オランダ人」みたいな人がどこの世界でもにぎやかなこと。
体にビルトインされている小型電気機器。
そして言葉と意識の流れの用意の早回りなこと。
それ以来、私文書以外は、コピーする者の署名が無くなったのである。


一行詩に、カメを連れての道中は発展があるのか、というようなのがあった。
今こそいろいろと思い付かせられることがあろう。