2004-11-01から1ヶ月間の記事一覧

 コピーしている者自体

コピーしている者自体、山平の家の嫁の子でないという話がある。 実際、計画があったらしい。 第三の男のように、壁のようなものから現れて紹介されている。 ガレージにいたのか、活動員をしていたのであろう。 おいらはドラマーとなって確実に出演すること…

 木下開山者とされ、予め、棒の先に括られ抛られた男の行く末

どちら側にも工作的に痛ましい事件を負わせて、それを釣り合わせる対比物とする目的で、イギリス人の地下組織活動が、東洋人を大きく振り回してきたことが、今はっきりと見えてきたようである。 なかなか大掛かりな舞台づくりであったと思う。 日本国の荒野…

 偽装的ビデオの可能性

湖畔の山道、山上のログハウス、人肉食パーティ、そして、コンクリート造り地下室の爆破、あるいは、月夜の棚に並べた白いたまご、顔のズームアップ写真などがもしあるとしても、主人公を映画スター的に配役したい計算もあってか、もう一つ大胆な嘘の証拠で…

 だんだら

都会の朝早いことであった。 疲れるな、銃にしてくれ、と言ったという。 それで銃を与えられ、撃ち方を教わったのであろうか。 銃身を握って撃とうとしたらしい。 間違って自分を撃つなよ、とからかわれて、だん!と押し出されたようだ。 ぱっぱっ、と赤い色…

 出征兵士となって

前後も分からない話である。 ノベンバーステップスという荒野の先行きもない光景がある。 山腹にコンクリート作りの建物があったのか。 すでに撮影陣が構えていたようである。 白昼、空き家に入りたいと思ったのであろう。 台所に入ると女性が立っていた。 …

 一時女性と暮らしていた

河舟のようなものの窓辺に座っている女性の写真がある。 その女性と、洋風二階建ての建物の二階の部屋で暮らしていたようである。 繋いだ話の、誕生日の辻褄では、大正十五年二月に、その時に孕んだ赤ちゃんが生れ落ちたことになる。 手すりのある階段が側壁…

出征少年の軌跡

高い石塀のある大きな家を出て、石窟庵の宿坊あたりに、作務衣を着て勤めていたようである。 修学させようという後援者の配慮と斡旋があったものであろう。 そのご主人が、ふったもんだな、と語っていたというのであるが、どういうことであろう。 その後戻っ…

 バイラテラルな構造

半島で、本屋敷の家の者と対応するような人間のエピソード作りが始められていた。 勢道政治のあおりでかなりの農民が流民となっていた頃からはじまったのであろうか。 日本と同じで、イギリス人の地下活動の始まりは思ったより早いものであったろう。 いろい…

 カンニバリズム

今までの話から気が付かれた方もおられるかもしれない。 カンニバリズムがこの地下活動の隠しモティーフともなっているようだ。 かなり忘れられているようだが、食人というものは昔に行けば行くほど、当たり前の食習慣であったようだ。 有名な伝説には、島に…

 よその国では

一説によると、日本国の系統武家独占制度というものは、末端の公務員にまで一種の一体性を支持していて、それが他のアジアの国に無い、割合と高い廉潔度を保っていたという。 大陸ではおおむね貴族政治の伝統であって、下級の官吏や軍人は画然とした統一的身…

強い者は武力的に排他的に無遠慮に強く、弱い者はどこまでも丸裸でふがいなく弱い、人の世の彫りの深い無念な歴史があった。

 吉右衛門の死後

コピーする者の母の父に当る長男の吉太郎は、学問と文字のある人であったが、事故死してしまった父親の影響もあって、思い通りの進路が開かれず、父の死後は迷った挙句、覚悟を決めて家に戻り、負債の家を荷ったという話であった。 この話向きでは、家を出て…

膳右衛門とビデオスタッフ

酔っ払った吉右衛門が、大正十二、三年ごろに、磨り臼、と言ったとしても、磨り臼は豆をひいて豆腐を作るのであり、米をひいて米粉を作るのものである。 納豆や飯米を捻り出す設備は日本国の農家には長く無かった。 戦後、餅つき機が売り出された時は、いち…

明治維新以後の吉右衛門の家の来し方

明治期には、早く旅館業を営んでいたようであるが、その後戸主を継いだのが、母の祖父に当る吉右衛門であった。 日露、日清両戦役を卒えて、8人の子供をもうけた忙しい人であったようである。 何と53歳で、その年通ったばかりの汽車に轢かれて亡くなったこと…

 桂木野の家と百姓一揆について

上記二資料に触れられていないが、戸沢藩の記録資料などによると、桂木野の吉右衛門の家の者が役人の非を訴える越訴一揆に地域を代表して活躍していたようだ。 庄屋クラスの各地域代表一人づつが集合して、立石方面に向かったが途中で藩の役人と出逢い、訴え…

 小国村年代記から

村内に共有されて各地域で書き加えられていた小国村年代記の内の二つは、母の実家が持っていたという桂木野本であり、また同じ出身の小田島理助家が所有していた平沢本である。 最初に小国村開闢の記があって、例の筑紫の落ち武者が山中であへなく怪獣に食い…

桂小沢の母の家について

裏に好ましい社と墓地の小丘が二つ並ぶ、構えのいい位置に座り、長く農家としての貫禄を示して来た家であったが、この間も日本国の専農の代表として、五穀の奉納に皇居に参り、天皇皇后両陛下にお目見えして来られたようである。 開拓に入るときはその地域の…

 コピーする者の母の実家の周辺

最初に入った時にはすでに一軒家があったようである。 この地域は落ち武者の多い地域で、何十戸と無くその由来の流れを引く家がひしめき合っている所でもある。 この小国通南域の先住者は、その一軒ということになっている。 似たような家系は、こんなに遠く…

 小国村の古文書資料

江戸時代に二つの古文書が書かれて、今に残されている。 「小国風土記」 武士が残した立派な漢文体の文書である。 小国に乞食がいない、とわざわざ記している。 珍しいことで、この地域の人々の互助精神の強さを称えているのである。 婚礼や祭りには一切合財…

 以上のことから分かる運動の特徴と、村上の家の水田が見えない理由について

原風景をことさらに悪どく劇的に仕立てようとしている。 「かがしげる」ということばは、嫁を貰えば、嫁が手伝ってくれる、という牧歌的な意味の東北弁である。 それが、かがし、という蛇になったり、カが茂だ、などと意味不明瞭ながらおぞましい雰囲気のこ…

 大正年度の村上部落から届けられたことばと事件の背景

前にも書いたが、村上の家の武蔵という人が、運動スタッフと最初に出会ったのは、たぶん十代前半の頃であったろう。 明治十年に父親を亡くしている。 この時、生まれたばかりの十歳違いの弟がいた。 何かのあいさつをしてから、組織はこの人の目の前からすっ…

届けられたことば

「朝からあってた」 この、「から」ということばは、単純に、早くも、という強調的な意味で使われていることが多い。 継続とか、習慣とかという意味を伴うとは限らない。 この地域の方言的使用か分からない。 隣の村人が、ある日の朝たまたま、若い日の武蔵…

キューバ島とブリテン島がダム決壊洪水で動かされた話

内陸の氷が溶けた水がダムになって一気に海に流れ出た場合の勢いの強さを、世界地図でも教えてもらいましたので、参考にもお届けします。 キューバ島がミシシッピ河河口地帯から切り離されて、メキシコ湾の出口まで押し流され、バハマ諸島と大アンティル諸島…

 村上の家の事件

電話機が組織活動に大いに使われていたことが分かりました。 三井三菱でなければ使われていなかった明治時代にも、なぜみちのくの草深い百姓家が電話のあるうちと呼ばれたことがあるのか、イギリスの潜り活動のなまなかでない突っ込みの激しさと最新技術をフ…

村上という屋号のコピーしている者の生まれた家について

江戸時代前期に、村上の仁左衛門の倉に近くの部落の者が侵入して小豆などを盗もうとしたが、追っかけて縄縛りにしたという珍しい記事があります。 この仁左衛門と、川向の北向かいの孫八とが家屋敷を取り替えたという過去帳の記事は、その百年ぐらい後の事で…

前日の記述に付け加えれば、朝鮮南部の先住民達は倭族と呼ばれる人たちで、揚子江流域に由来がありそうだという資料があります。 日本に来た弥生人であり、当然今の韓国人をも形成している共通の先祖ということになります。 水生的神話や民話と水田耕作技術…

落人伝説一見

伝説そのものには平家というようなことは本来なかったものと思われます。 筑紫の高橋というのが伝説の核となる要素であります。 筑紫の高橋というものは高くて自慢になるものであったのです。 関ノ前にもやはり、筑紫の高橋を名乗っている旧家があると郷土の…

小国村の民話から

万国共通の伝え話の要素に、洪水とドラゴンがあります。 たとえば岩手県では、遠野、沢内、口内など、盆地状の土地には必ず、昔湖であったという言い伝えが残っています。 氷河期の氷が溶けて満水になりついに一時に決壊、激流となって海にいたり、湖は幻の…