村上の家の事件


電話機が組織活動に大いに使われていたことが分かりました。
三井三菱でなければ使われていなかった明治時代にも、なぜみちのくの草深い百姓家が電話のあるうちと呼ばれたことがあるのか、イギリスの潜り活動のなまなかでない突っ込みの激しさと最新技術をフルに活用しようとする全体力的打ち込みの程を知ると共に、現実的にその驚くべき真実が見えてきます。


床下に穴を掘り進み、寝間や常居の床板直下に集音機を取り付けて会話音を聞き取り様子を窺っていたものと思われます。
電話の送話機を大きくして漏斗状にしたものが眼に見えるようです。
今は無線機の時代ですので、取り払われてしまっているでしょう。
電話機の場合、聞き取られる場所が決まっていたわけです。


電話機で聞き取った音ばかりでなくても、資料から届けられてきたいろいろな言葉があります。


「いそがしい」 
これはみすぼらしい家畜小屋の前で発せられた言葉のようです。
コピーする者の納得理解には、その者の全人生がヒントになっているといえるようなことがあります。
全人生がすべて資料の反復コピーにも思えてくるのです。
運動員との最初の接点での反応だったのでしょうか。
「神のみ業に関わることより大事な仕事がありますか」と、外国人の伝道師さんもその者の父に尋ね返したものです。
その時は犬小屋を自分で作っていたのです。
たぶん、恥じらいをふくんで、というような情景の説明文が資料に記されているのではないかと思います。


「嫁に行く」
忙しい、父親がいない、幼児の弟を抱えた母と少年の家の状態を眼にして、素直に感じた派遣員のメモからスタートした言葉ではないでしょうか。
自然にそのままの言葉だけで解釈すれば、隣家の嫁に会いに行くなどという意味を含ませるのは、日本語としては無理があり、二次的な歪曲と言えます。