よその国では


一説によると、日本国の系統武家独占制度というものは、末端の公務員にまで一種の一体性を支持していて、それが他のアジアの国に無い、割合と高い廉潔度を保っていたという。
大陸ではおおむね貴族政治の伝統であって、下級の官吏や軍人は画然とした統一的身分制の塀の内からのみ選ばれているのではなかった。
ある程度は固定的にはなっていたであろうが、それは日本国のように、武士と農民を峻別してしまうような、身分制度という排他的な法規制が敷かれていたということとは違った。
ちょっとした農家からの出であることが多かったと思われる。
かえって兵隊に家族を出したくなくて、代わりに軍布などという税金で免れていたという。
軍布を出せない者が自ら兵役を買って出たものであろう。


したがって、特殊に日本国に成り立っていたように、役人や兵隊がその時々の支配体制に一体性を強く感じたり、私を離れた忠誠心を捧げていたとは思えない。
特に権力者がよけいに私利私欲に走って見えるときなどは、自分の仕事に何の高い権威や正義も感じることができなかったであろう。
おおやけ性のない公務員は昔、そうとういろんなことができたようである。


韓国では勢道政治というものが有名である。
国王の后の一族が国の権力を握ってしまうことである。
日本の長い藤原氏独占時代に似ている。
その後日本国の王朝にいる貴族は藤原氏だけになってしまって、明治維新まで他に貴族になった者は、平清盛とか豊臣秀吉しかいない国になっていたのである。


勢道政治の時の汚吏貪官というものは思い切って濫りであったようである。
とにかく自分の財産を増やしたいばかりで、散々に百姓を引っ立てて絞り上げたものだという。
日本国の江戸時代にはそれほどのことはなかったようである。
韓国の歴史には残念なことであるが、搾取王国制度の長年月の果てに、歪が大きくなって綻びが出てしまったということであろう。


土地を失ってしまった運の悪い農民達は流浪の民となり、また盗族として団を成し、国衙を襲ったりしたという。
これは、日本国の軍国主義が介入してくる前の世の事である。
その後東学党党員の指導の下に規模の大きな農民の反乱が起きている。
この場合政道に異見があっての行動であった。
以後、日本やロシアや清国との対応が一切の公民の主な問題となっていく。


事実的にいえば、民族的興奮と決起の始まりは、王妃殺害事件にあるようである。
その実際は国民誰もが号外ニュース的に耳にしたものと思われる。
内面的に、民族の問題として最大の激震事件であったと思われる。


統監府のお仕着せで新たに農地の申告を課されたことがあった。
抵抗的に無視した人もいたようである。
無申告の農民は土地の所有権を失ったのである。
全国的に無職の民が生まれ、満州に行った人、千メートル以上の高所で火田民となった人、町に出て土幕民と呼ばれた人、そして日本の関東の飯場に宿して土方になった人たち、と運命を分けたのである。
皆その時の農民である。


しばらくして関東大震災が起こり、関東地区に仕事をしに来た人たちに全く無抵抗の殺人刑が襲いかかってきたのである。