カンニバリズム


今までの話から気が付かれた方もおられるかもしれない。
カンニバリズムがこの地下活動の隠しモティーフともなっているようだ。


かなり忘れられているようだが、食人というものは昔に行けば行くほど、当たり前の食習慣であったようだ。
有名な伝説には、島に渡って来た男と何日か契り、子供を孕んでからは男を無用としてしまうアマゾン部族の話があり、日本にもそっくり同じような女護ガ島の話がある。
日本のはインド近辺からの伝来なのかもしれない。
食人の島というのは他にも神話に語られている。
悲しい話に、老婆が山で暮らしているという童話、伝説も多い。
インターネットで見つけた解釈であるが、秋田のなまはげは生剥ぎといって、刃物を振り上げて子供をとって食った異界の者達の記憶であるという。
実に人類は、人を食う生き物であった。
たとえば、大昔は脳脊髄液を必ずすすったものであると思われる跡が、アフリカ地域で発掘される人骨の破損状態に認められるという。


肉食時代は必要な塩分は食べる肉や内臓から補給され、動物の体から体へと循環していたものと思われるが、農業生産物のストックと食料の安定確保の時代に入ると、塩気の無い不健康な状態が発生したはずである。
結局塩分を塩として取る方法を発見するのであるが、それまでにはいろいろな試行錯誤があって、呪術的なことまで試されたであろうと想像される。
やがてどこの国でも塩の道が通され、
大事な命の糧としての評価から、兵士達のサラリーの代名詞にまでなるのである。


キリスト教でも、キリストの肉として聖餅を分け与える儀式がある。


サッカーは、ソーシャルスポーツとして分かれてから球形のボールが使われているが、元の形は今のラグビーボールと同じものであったと思われる。
イギリス古来の祭りとして、スポーツになる前の姿をテレピで見たことがあるが、それは、陸奥でも最古の寺に伝わる蘇民祭で、首袋というものをもみあって手で奪い合う様子とそっくりであった。
最後に細切れの木のブロックをばら撒いて祭りは終わるのであるが、その木には蘇民将来の子孫なり、と書かれていて、預かった人の蘇民将来の子孫であることを保証するのである。


これはキリスト教の聖なるキリストの肉の分け与えと同じ意味を持つ風習であると思われる。
そしてイギリスのサッカー祭は、キリスト教の伝来より早いもので、かえってキリスト教に影響を与え、その儀式に取り入れられたものであると思う。
この場合、栄養補給とは違う意味を有しているのだが、やはり背景に広い食人習慣があったことに因る奇習であると思う。


ある地域では、一旦土葬してから掘り返して、なんらかの意味で食肉する儀式が観察されている。
一つに、刑罰か報復の意味で行われていたという記述が百科事典にあった。


処刑官吏が被処刑人の人体の一部をピクルスにして強壮薬食品として、自らも食し他にも売りに出していたということは、日本の江戸時代にも行われていたことであり、ヨーロッパの各地でも行われていたという。


皮膚病の治療に人の生血をすすることも本当にあったことだという。
皮膚病の為、昼の日の光を避けて、夜間、血を求めて徘徊する者がいたのである。
伝説の元となる真実があったのかも知れない。


日本の昔の物語に、胎児が病気に効くというので妊婦の腹を裂いたという話が時々出てくる。


こういうことは、特に胎児というのではないが、中国でも習慣として残っていた地域があって、ついこの間まで食品として売りに出されているのを眼にすることがあったという。
先生の飢えを癒す為に、自分の腿肉を切り取って煮物にして差し出したという、有名な故実があるが、人肉食の背景がなければ、なかなか美談としては違和感があるものである。


今あちこちの奥地の変わった習慣として、人類学者の先生方からのフィールドレポートがあるが、いろいろな証拠から推論すれば、人肉食は昔には当たり前の食習慣であったといえるようである。
その余波が、儀式となったりして所々今に及んでいるということであろう。