出征兵士となって


前後も分からない話である。
ノベンバーステップスという荒野の先行きもない光景がある。
山腹にコンクリート作りの建物があったのか。
すでに撮影陣が構えていたようである。
白昼、空き家に入りたいと思ったのであろう。
台所に入ると女性が立っていた。
後背に大構えのスタッフを控えてもいるので、思い切って、誘っても何かの事件の相手をするつもりで待ち構えていたのであろう。
小津映画全編の視線が、組織活動の世の中を他人事のようにフィルムに写し撮っていたといえようか。
何か口に入れるようにしたらあっけなかったとか、見た人の話でもあろうか。
もっと言えば、景気付けのつもりか、なにか一杯飲み込んでから立って待っていたという話もある。
ヒロポンだ、と声をかけて教えてくれるひとがいた。
男が手こずることでは間に合わない仕掛けであったと言えよう。
やれやれ、とカメラ機器をたたんだり、ふとんに寝ている女性に医師や看護婦が付いていたりするような風景を届ける人もいる。
何が何でも仕事に事件を撮らなければいけなかったのである。


この報告は初めから、原資料だけでなく、その資料にはたぶん一切触れられていない、実際は東洋人をすっかりリードしてしまっている、組織みずからの精力的な裏工作、人脈や仕掛けをも、公正に見せようとしてくれている。
しかもここでは珍しく、その現場に参加していたと思われる人の正直な証言まで届けて戴いたようである。
現場の裏舞台の様子が眼に見えるようである。


このように、原資料だけで脅されてしまってはいけないのである。


仕事帰りに真冬の工場の構内で生水を含んでいると、それを見て、冬の水はうめぇな、と声を掛けた同僚の工員がいたことを思い出す。
気持ちの純粋な、人をからかうような人ではなかった。
特に冬の冷たい真水がうまいわけでもないのだが。
ハァーッ、ハァーッ、ととにかく男は音を立てて冬の水を飲んだというのである。


たまたま観た映画のシーンに、学生紛争の闘争中にか、水道の水口にのどを潤そうと、学生が駆け寄ってきたのであるが、その学生の激しい、胸の中の思いのようであるような独り言が、マイクロフォンいっぱいの、殺されるうっ、の音であった。
その時、歩いているだけで殺されるような、孤立無援の状況を男は本当に自分の身辺に感じていたのかもしれない。


ピテ゜オがあるにしても、あるいは全くの演出映画であって、男も出ていなかったということもあるのかもしれない。
いずれ、山中の密室的な、映画会社借り切りのてんやわんやのおとり芝居であって、それだけでは公正にはどこにも計上することのできない証拠物件といえよう。