桂小沢の母の家について


裏に好ましい社と墓地の小丘が二つ並ぶ、構えのいい位置に座り、長く農家としての貫禄を示して来た家であったが、この間も日本国の専農の代表として、五穀の奉納に皇居に参り、天皇皇后両陛下にお目見えして来られたようである。


開拓に入るときはその地域の先住者代表に、村入りの挨拶をしたものだという。
その家の主人を草鞋親という。
それが代々の烏帽子名の授け人である烏帽子親ともなったのであろう。
増田隆右衛門を一代おきに、この場合元服時でなく婚礼時に、かたことに尊んで襲名を執り行い、その入植時の儀式を保ち続けてきたものだという話であった。
その当時婚姻の儀も取り持たれたのかもしれない。


他の一軒は平左衛門を名のり、もう一軒は小田島理助を代々名のっている。
この小田島姓は、数ある長島氏落ち武者家系の内の主家筋の流れの家の苗字と同じで、その旧家を草鞋親としたものであろうか。