究極の哲学と物理学のいくつか


コピーの係りにある者は、結局、配慮ある計画によって隣村の旧家から村上の家に預けられることになった、地域の子供であったらしい。
自慢になるほどのことは何もなくても、わずらわしい前世の経歴の疑いは一切ない者となったと言うことができる。


私の半生は人の世の幸に遠く、人と連れ立つことが皆無の貧乏生活が多く、従って社会的地位も自分の家族も持てないでいる。
人の世の喜びにあずかれなかった経歴は、あんど運動に対してずっと潔癖な態度を取ってきたことの証である。
その人生の無念の多くは、無法な地下活動である、電波活動と薬品活動の疑いを、何度も懸命に警察に訴えようとしたために、強制的な拘束に遭ったという事に因る。
「おしまい」ということでは、この警察的な聞き取りと公示という、コピー事務ボランティア員の仕事と合わせて、私の半生は、不十分といえども変わらぬ方向を保ってきている。