何の大義名分もない、膨大な反則の無駄というものである


勘違いしないでもらいたい、私はただの一度もこのあんど活動を認めたこともないし、頼んだこともない。
願いは唯一つ、早くこの音のしないへくそみたいな、無法地下活動が、地球上から取り払われたすがすがしい朝の道を自由に歩くことである。
あんど運動は、この期に及んで、音のしないへクソ運動でしかない立場、地球市民のモラルに厄介な荷物の本性をさらけ出してきた。
昔は恩恵大であったろうが、今ではあさましい不公平な生存競争のための、大義名分のない無法なコソコソ活動に過ぎなくなってきている。
先生というものはすべて運動の御子で、それによって先生の偉大な業績があるのだ、と地下活動を肯定的に考えたがる人がいるが、私はその事実を否定する。
先生の実力その功績を否定するのではない、しかし寄せられてしまった他の潜在的先生方でも負けない能力と負けない働きは成していたに違いない。
不公平に不法に他の潜在的先生方を押し除けてしまっていることが、罪深過ぎるだけの運動である。
きれいな先生方はすでにおっしゃっておられたという、私みたいなものになれる人は日本国に本当は何人もいるはずなのだ。
フランスのノーベル賞を受賞した作家のことだったか、地下執筆者が、あれでノーベル賞かよ、とぼやいていたという話がある。
つまり自分が世に出て発表しても誰も見向きもしない駄作なはずなのである。
どうしてそういうことになるのか、つまりその人が何かだからであり、そのいわれで文学界に長く活躍しておられるからであろう。
日本の話で申し訳ないが、川端先生たるものが、謙虚に、自分はあるのか、と地下活動関係者に質問したことがあったという。
それほどに、先生の中には、地下活動に対して深い自覚を秘めておられることがあるようだ。
先生はある、という認定があったという。
必ずしもはっきりとした状況の話ではないが。
志賀直哉先生も西洋かぶれ文壇の実情に気付かれていたようで、白樺派の、作ったようなそっくりな顔の人を見ては、恬淡として、アハハ、と笑っていたという。


私は一度もこの運動を頼んだことがないのであるから、ましてや、人を殺めてまでして地下から相談もなく取り付いてもらいたくないのである。
また、女性を意識不明にしてまで、私の世話などの役を引き受けてもらいたくない。
もともとは、眠らされてしまった気の毒な女性を気の毒とも思わず汚すような卑しい男達が、まだこいつにいねのか、と作業を頼まれてしまった人が地下をのぞいているような状況ではあったという。
今まで頼みもしないのに、片時も離れない地下作業であって、必要もないことであるが、人員に不足していたとは思われない。
組織の悪魔の悪戯でこんな大変な事を無理に突っ込んでいるのだと思う。
頼まれる方も義理があるわけでもなく、自分の意志で利益も見込んだりして引き受けたのであろう。
コピー係りなぞ、最初から見えたものではなかったろう。
冒険キチ達だという声がした。
イギリス人本部が、終わりがけに大きなことを企んでいると見えないであろうか。
普通の人間が頼めるものではない、頼まれるものではない。
よかろうと悪かろうと、お断りしたい。
私はこれからも世に名が出るほど出世するような用意にない。
自分にもその気持ちはない。
コピー係りにそのような名誉はない。
この大仰な社会的犯罪活動を、孤独なコピー係りの出世のためだと言うのは、どうしてもおかしなことである。
そういうことでは、何かの役があるにしても、嘘みたいに壮大な無駄が日本国に溢れていることになる。
中には誰か私の側の地下で時間つぶしをしておられるのかもしれないが。
おぞましい活動の責任は、どうしても頼んだ者と引き受けた者にしかない。
他の人には防ぎようもなく、相談のないことで、一切が地下活動者側の、勝手な許可も得ない近寄りなのである。
私生活にすぎない用足しの足に付いてもらうなど、特に無駄なことで、あまりに申し訳なく本当にお断りしたい。
すでに日本国中穴が並んでしまっている世の中ではあろうが。
少しも、晴れがましい、人生の順調な発展に役立つような取り付き方でもない。
何回も言うと、この地下活動を私は頼んだことはない。
運動の終わりに地下組織の暴きに役立つのならと、コピー作業には自ら期待して、積極的であってきた。
いずれにしろ、どうしようもなくも、殺人による人の入れ替えもなくても、女性を意識不明にしてしまわなくても、地下作業は不足なく続けられてきたはずである。
無用な残虐事件である。
そんなことを引き受ける人の感覚は通常ではないと思う。