客観性と知識の真実性について、イギリス人の沈着なさばき方を紹介してみましょう。


実体と主観あるいは現象の対立が根本問題であるとして、そこに留まったままで何かを解決しようとすることに、いわば存在論的なまた認識論的な疑問が立てられなければならない。
実体知とか神知とかいうものに対する人知の相対性というものを立講することについて。


客観性とは、個人的であるとか民族的であるとか夢を見ていただけであったとか記憶違いであったとかと対立する真実性である。
つまり時代を超え、人種、世代、性別を越えていれば、相対的でない絶対的な知識が当たり前にあるのである。
相対性をかえって絶対的な知識の原理にすることは子供っぽいことなのである。
存在の客観的な原理にまでしていただこうとしている人もいる。


あまり端的で飾り気ないこのようなイギリス人の先生の考え方は、実は現代人の冷静な常識に近いものなのです。
人間はおなじものです。
ましてや根本知において。特高の人だけの独占知というものは全部作り物の嘘です。
清癖さ、率直さにおいては、イギリス人の先生がやはり一歩リードしておられます。


言うまでも無いことですが、コピーしている者の名前が、このような立派な先生方を差し置いて世に出るなどということは決してありません。