活動の目的とその成果に満ちている現実世界


何かしらのつまずきを見られたもののように、あるいはその時々の遅れた姿を、それぞれの出自的な秘密として負わされた、いわば石だらけの国日本列島を立ち上がらせ、その上に民族の絡み合いも演じさせようという魂胆であったと思う。


あそこは郡でも一番日当りのいいシチュエーションだったわ。
フルオブロックの土地にして売りに出したもんだもの。
(アメリカでは、ロックとは石のこともいうのである)
そこへ、プシューっと、西からの風をしこたまに吹き込んでやったってことさ。


そうして多くの各ジャンルからの家系が、上もなく下もなくこの活動に巻き込まれ、関係者となっておられるものと思われる。
もちろん、「神の供」と自らなられた方々の家系は江戸時代にも遡り、本来生まれは武士であれ、貴族であれ、各地域の豪族であれ、尊卑を問うものではなかったようである。


西洋でも知らぬうちにか、どこでもすっかり潜られてしまって、大物というものは何かしらの影響を受けてしまった方々で揃っているようだという。
たとえば、あるジャンルでは、務所上がりの子孫だけで先生方が並べられているということがあるかもしれない。
日本でも似たような同じジャンルの系統と関わりある子孫の方々だけで揃っているということは、沢山あって、お互いに所を埋め合って、日本国のいろいろな大事な勤務を満たしておられるはずである。


そして振り返ってみるともはや、日本国でいえば、日本国史に点々と運動関係者が鏤められているというのではなく、もはや日本国史の主人であり、日本国史の名簿の余すところのない充実である、と言わざるを得ないであろう。


そして気前のいいドナーでなければ、この握った世の中をどうしてくれよう、と最後になって素直に収めれない気持ちが残っているのかもしれない。


今更いたずらしたってどうしようもないじゃないですか。
何になるってものでもない、たんだ馬鹿な悪戯気が出ているだけではないのですか。
世の中良くしよう、って皆まじめに汗を流してがんばっている時に、人間の仕事にあまりたわけな
くてむなし過ぎるのではないですか。


結局その筋の手は、最後にも暴れることしか頭に無い部署なのだ、と見分けられて来るようだ。


自分が持ったものだから、弄んでいいものだろう、と本当に思い込んで遊びたがっている人物がいるのだろうか。
しかし世界の発展は決して貴方が背負ったものではない、世界中の庶民一人一人の毎日の生活向上の願いがあってその努力の上に初めてビルディングが立ち並んでいるのである。
庶民は家族の為に皆必死で、遊んできたのではない。
運動が無くたって、かえってビルディングは立っていたのである。
貴方が勘違いしているのは、そのポストに就いているのが皆自分の子飼いの者であるから、ビルディングも経済も国も自分のもののように、いじっていいような気がしていることである。
世界のリーダーシップを並べて見てほくそえむことができたとしても、それで世界中の庶民のすべての経済活動社会活動の実績に対して、自分の悪戯気を振り回す権利があるわけではない。


繰り返せば、一人一人の庶民の、家族のためを思う毎日毎日の経済活動があって、それにたかるように、この子供っぽい地下組織活動のいたずらがありうるのである。