今司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」を読んでいるが、その史実の報告に眼を開かされることばかりである。


たまたまというか、コピーアーの母の祖父に当る、この日記で重要人物として登場している吉右衛門が、日清戦役後二回目の出征戦士として、日露戦役第八師団立見軍帥下に参じていた。
日露戦争中最後の最精鋭予備軍団として控えられていた隠し玉大隊であった。
青森岩手の若者にこそ、冬の凍りつく満州地において他に抜きん出た目覚しい活躍が期待されたのである。
アンカーマンとしての期待通りの、その活躍は、本書第六巻(文春文庫)に叙述されている。
立見将軍下の凍夜進軍、黒溝台奪回の朝の光に、敵味方の死骸が鮮血と共に朝の白雪のおもて一面に曝されていたという。
民兵吉右衛門がその後酔っ払ってしまった以外には、何の過ちもない村役の誉れある堅い農家であるだけであったのである。


毎春桜の花の咲く頃、大和神社で慰霊祭が行われている。
昔長島地区の兵士は、ここに集まりここから弘前の師団に集結参加したのである。
母の母が花の咲く春ごろ、長島桂小沢の家から懐かしげに、コピーアーの福岡の家に一人ひょっこりと訪れるのを思い出す。
犬を飼っていたが、神経質な犬が珍しくそのおばあさん、ばっぱには首をうなだれて話しかけられていたと、母が喜んで話していた。
ばっぱは自分の息子、母の兄である、吉一の戦死を弔い続けていたのである。
亡くなったと知った時は激しく長く嘆き続けたという。
この大和神社は、日清、日露、太平洋戦役の共通の集結発進地であったのである。
この4月30日に、桜酒になったばかりの吉右衛門以外何にも悪いことのなかった家の子孫の者として、吉右衛門とその孫吉一、吉二の忠勤をしのび参拝して来ようと思う。