有名人の出自


以下いろいろな資料に拠っているが、特にウィキペディアを参考にすること大である。


正田美智子様。江戸時代から米穀商。3代目で醤油会社を起こす。現在日本の製粉加工業界の雄。母上は佐賀の旧家出身副島氏。
小和田雅子様村上藩藩士。母上は奇しくも同じ佐賀の鍋島氏家臣の出身という。


日本初のノーベル受賞者湯川秀樹氏の本姓は小川氏。紀州藩士。
木村栄。金沢市外の富裕な農家。分家木村家の嗣子となる。木村家塾は大きな塾であったらしい。最初の文化勲章受章者。茅誠二は娘婿。
西田畿多郎。旧加賀藩大庄屋(十村役)。金沢に近く、上記塾で木村博士と一緒に学んだことがあるそうである。
南方熊楠金物屋の次男。
鈴木梅太郎。静岡の農家の出身。苦学して東京帝国大学を卒える。
茅誠司。神奈川県の農家の次男。
南原繁香川県製糖業。義父は、実父の婿養子が出奔したため、二度目の婿養子として入った人。


小川氏と同じ紀州藩士に陸奥宗光がいて、兄弟とは離れて西洋人っぽい風貌であることについてはすでにやたらに述べている。
安倍晋太郎氏。山口県油谷町出身。父も議員で村長から身を起こした人。古く奥州安倍の宗任の子孫であるという。
思えば、鼻の壮にして品格のある所、かの黒沢明とそっくりではないか。この黒沢は北上市の旧地名黒沢尻に通じていて、同じ安倍の黒沢尻正任の子孫であることに由来しているという。
岸佐藤氏。山口県田布施町出身。父は長州藩士佐藤家の婿養子。上記安倍氏とは娘婿の関係を持つ。
松岡洋右田布施町隣、光市出身。廻船問屋。没落し渡米苦学。佐藤栄作の妻女の叔父にも当る。
伊藤博文。同じ光市出身。鎌倉後期の伊予の武将河野通有の子孫と名のる。農家出身。中間伊藤氏の養子の子。
福田氏。庄屋の生まれ。
中曽根氏。材木商。
上記の方々も中には、江戸時代には同じことであったのかもしれないが、大平氏、田中氏、宮沢氏、三木氏いずれも仲良く農民の出である。
藤山愛一郎氏の父も一代で経済人として出世した人であった。佐賀県の庄屋。
小沢一郎氏。父が一代で弁護士から大臣になった人。
政治家はやはり圧倒的に草莽出世型の人間が多い。
小渕恵三の父は群馬県一の製糸工場を興した人。
橋本龍太郎氏は、岡山県総社市生まれの、大日本麦酒の取締役になった祖父を持ち、やはり議員であった父を持つ。
鳩山一郎氏は、美作国勝山藩藩士江戸留守居役の子鳩山和夫を父とする。この人は第一回留学生となり、コロンビア大学で法学士、エール大学で法学博士を授与されている。
東条英機南部藩能楽師
河野一郎氏は神奈川県の豪農
小泉純一郎氏の祖父は慶応元年横浜市内で生まれ、衆議院議長逓信大臣を経る。父は鹿児島生まれで、女婿となった人、義父の跡を継いでやはり大臣にまで上る。
池田隼人。広島県の酒造家の生まれ。
吉田茂土佐藩士の父。
麻生太郎氏。福岡の大庄屋。藤原宇都宮氏の出、戦乱の世に、大内、毛利と別れ、原田、高橋、秋月などと共に大友陣営に並び、秀吉九州進軍時には二子を人質に預けながら島津側に付き滅亡した流れがある。明治初年度に先祖伝来の土地で石炭を採掘して大成功、衆議院議員になっている先祖を持つ。吉田茂大久保利通の流れを引く。
宇野宗佑氏。酒造家、町年寄。
森喜朗氏、竹下登氏それぞれ石川県、島根県の庄屋。


ついでながら、大物政治家が、偶然にも山口県田布施町、光市、そして広島県竹原町、福山市香川県観音寺市徳島県阿波市岡山県総社市と、互いに近隣の瀬戸内海沿岸地域出身であることに気が付かされる。


浜口雄幸林業
鈴木善幸氏。水産加工業網元。
山県有朋。中間。
星亨。左官屋。医師星家に母と共に入籍。
高橋是清。絵描き。伊達藩高橋家の養子。
岩倉具視。堀川家から岩倉家へ。生活が苦しく、博徒を置いて賭場代を稼いでいたという。一国を自分で仕切りたいほどの野心家。
副島種臣佐賀藩藩士。脱藩勤皇志士。
江藤新平佐賀藩下級藩士
坂本竜馬。商家から郷士取立て。江戸時代以前、戦乱の地山城の国から逃れてきて百姓をしていた、という証文がある。
武市瑞山。土佐郷士。5代前豪農の家柄から郷士取立て。
桂小五郎藩医
大村益次郎。村医。
井上馨山口市湯田出身。藩士といえ、生活はたとえば、耕作をし馬を一匹飼う、など農家と同じであったと、ウィキペディアに紹介されている。
西郷隆盛大久保利通共に、薩摩藩の下級藩士
勝海舟。検校金融業。
中江兆民。株買い足軽
岩崎弥太郎郷士株を売った浪人。
渋沢栄一。藍玉製造販売農家。
尾崎行雄。父は維新後の弾正台(警察署)職員。
緒方竹虎。代々岡山県備中の国の医者。山形県書記官の父。緒方の苗字は緒方洪庵との義兄弟の契りに因るという。
犬養毅岡山県の庄屋の次男。
美濃部亮吉兵庫県高砂町漢方医の次男、美濃部達吉の子。
兵庫県知事井戸氏。江戸氏というのは有名であったが、井戸という苗字は珍しかった。武将苗字にあって、大和の国で筒井氏と婚姻関係を結び、大和国人の一人となった、とある。
菅直人氏。美作菅家党の子孫。江戸時代は庄屋を勤める。道真の子孫と称していた。
三浦梧楼。山口藩士奇兵隊員。
幸徳秋水。高知、酒造業薬種業。元々は陰陽師の家。
与謝野馨氏。与謝野鉄幹の孫。
堺利彦内村鑑三、共に藩士
榎本武揚。父は今の広島県箱田村出身。幕臣榎本家の株を買い、その娘と結婚。本人は、他幕臣に抜きん出て、幕府に最後まで忠誠を尽くしたことで有名だが、豊かな西洋経験から強く黒田清隆に惜しまれ、後に外務大臣などを務める。
黒田清隆筑前の黒田でなく、薩摩藩下士。病死の妻の死因を疑う噂を立てられた事があった。帝国憲法発布に当った総理大臣。


ちなみに、総理大臣で一番出身者が多いのが長州で7人。薩摩は3人。なんと南部岩手が4人。東条英機は生まれは東京、長州閥の人間を徹底的に嫌い、排除しようとしたという。
斎藤実岩手県奥州市。水沢藩士。英語堪能国際派。ファッショ絶対だめ、と言う昭和天皇に政治家軍人として唯一の親しみを持たれていた人だという。226事件の時寝室で乱射され77歳で亡くなる。昭和天皇はこの時強く指導力を発揮されたという。
他の奥州市、元水沢市出身の偉人。
後藤寿庵。葛西氏配下の城主。頼朝侵攻時に赤羽から岩手県藤沢に。秀吉天下取りの際の葛西氏取り潰しの後、長崎五島で洗礼を受けたため後藤を名乗ったのか。江戸でフィリピン総督帰還の際の漂流民(メキシコ生まれスペイン人)をメキシコに送って帰って来た田中勝助に出会い、その縁で伊達氏に重く取り立てられる。領地福原に元の家臣団を集めて、全領民キリスト教徒天主堂の里を作り、全国各地から拝礼者が訪れたという。一人、シシリー生まれの東北管区長が一帯を砂漠のようだと語っている。その耕地を私費で潤したのが、寿庵堰である。やはりシシリー生まれの神父と共にクリスマスを祝いその日の夜に南部藩和賀の地に逃亡。伊達政宗は特に寿庵を惜しみ、寿庵のみ信心を吟味せず、信者を寄せなければいい、という内密の書状を届けたという。神父は雪の上の足跡から伊達藩内の鉱山で逮捕。例によって広瀬川で水責めの刑。肉をチョップ。南部藩でも同じことがあった。女性信者の肉は刻まれて秀吉から拝領した虎の餌にされたという。寿庵は逃亡先からも保証人としての負債の返済を続けている。
高野長英藩士。元副総理椎名悦三郎も同じ高野氏の出身。
後藤新平。大臣、東京市長、震災後の復興に尽力。
他に小沢一郎氏等。
緯度観測所の国際本部があって、宮沢賢治の詩や童話の舞台となっているが、木村博士がテニススポーツを紹介し、ゼット項を発見したのもここである。


牧野省三。明治末年日本発の映画製作。父は京都山国村生まれ、民兵組織「維新勤皇山国隊」の隊長。映画界名門の始まり。
坂東妻三郎。木綿問屋の次男。
田村正和氏。田村兄弟の一人。上記坂妻すなわち田村傳蔵の息。
佐田啓二。京都の商家。中井貴一氏、貴恵さん兄妹の父親。
佐野周二。。東京鳶職人。国会議事堂建築に与ったという。子関口宏氏。孫関口知宏氏。
小津津安二郎。父は深川の海産物問屋を営む。本家が豪商であったという。
安藤和津さん。祖父犬養毅。父犬養健。姉犬養道子。従姉妹の娘が緒方貞子さん。
(なお緒方貞子さんは、父の姓は中村。母方曽祖父が犬養毅、夫が緒方竹虎の子)
日本歌謡界最大最後の全国民的御三家、橋幸夫氏は本名も橋幸夫、東京生まれ、舟木一夫氏本苗字上田、愛知県一宮市生まれ、西郷輝彦氏本苗字今川、鹿児島生まれ。


双葉山。大分、木炭業、運送業。石炭運送中に破船、親子で沖仲仕をやって評判になったという。
栃錦。東京、製傘業。
若乃花弘前林檎園。台風の為、やはり北海道で沖仲仕をやる。


夏目漱石。実家は町役庄屋。遠く清和源氏村上氏の流れを引く。
井上靖。父は静岡県の旧家の生まれで軍医。
斉藤茂吉。義父紀一は同郷名主の家系。実家はこの家から婿養子を貰っていたが、茂吉を産む時にはまた別の家から婿養子を貰っていた。
伊藤左千夫成東町農家。漢学者の父、母は武士の流れ三木氏。
長塚節茨城県豪農
有島武郎。有島生馬、里見とんは弟。父は川内出身の大蔵省官吏。薩摩藩士。母は南部藩士。俳優森雅之は長男。
北原白秋。江戸時代以来の海産物問屋。
吉本ばななさん。吉本隆明氏の子。
吉本隆明氏。本人出生年大正13年に長崎天草での造船業から東京下町に祖父、父共に移転。雇われ大工をしていたという。地下詩作工房の秘密に触れたような詩論を読んだ事がある。
中原中也山口県湯田温泉生まれ。父は旧姓柏村、軍医で、中原家の養子となる。中原家は毛利氏の家臣。
立原道造。父は水戸藩儒家の家の婿養子。
太宰治。県下有数の大地主だが、たどっても誇るべき系図もない百姓。曽祖父から知られるようになった。
芥川龍之介。芥川家は江戸城茶坊主の家柄。岡山辺りの農家から転身、京橋区入舟町で牧場を営んでいた。生後七ヶ月で母方の兄、芥川家に入る。
三島由紀夫。兵庫の農家。母は前田藩儒者出身開成中学校校長橋健三の次女。祖母夏は三河の国奥殿藩藩主松平主水正の子永井岩之丞と常陸宍戸藩藩主松平頼位の三女高との子。
谷崎潤一郎。祖父は日本点灯会社で一代で財を成す。父は養子。
大江健三郎氏。庄屋。
瀬戸内寂聴師。徳山の仏壇店生まれ。古くは瀬戸内の海賊退治に賜った由緒ある苗字という。
司馬遼太郎。姫路城城下で百姓をしていた。かつて籠城戦で敗れ、集団移住した人達だという。
宮沢賢治。成功した商家の分家の家に生まれる。母系を辿ると、岐阜の有名な刀工関孫六の子孫に当るという。
幸田露伴幕臣三男。
正宗白鳥。代々網元。
与謝野鉄幹京都府与謝村を出、寺勤めをしていた父が維新後与謝野を姓とする。
二葉亭四迷尾張藩下級藩士
江戸川乱歩田山花袋永井荷風、共に藩士高見順永井荷風のいとこ、その娘が高見恭子さん。
岡本かの子。神奈川の大地主で、幕府、藩御用達の豪商大貫家。
森鴎外藩医。出自ではないが、陸軍軍医総監として、脚気を伝染病と主張し、麦飯に反対、陸軍脚気患者25万、3万名の死亡者が出る。対立した海軍総監の下、海軍脚気病者2名。終戦直前陸軍大臣寺内正毅が頭越しに麦飯の支給を決定したという。その後、鈴木梅太郎ビタミンB1を発見して、脚気の病因を証明しているが、誤説として糾弾している。


棟方志功。青森の刀鍛冶。
高村光太郎。父高村光雲。祖父は元魚屋をしていたが零落、大道商売をして病気の父を養う。紙細工で形が変わる文福茶釜や河豚の水鉄砲を売っていた。そのため香具師仲間に入って、一方の親分となる。「見世物はどこでもただであった」 父は塩釜神社にやられるところを、清島町の裏町から高村東雲の所に通うことになる。東雲の姉の養子ということで、高村を姓とする。(すべて浅草紹介のインターネット記事による)