運動が指さすもの


天下を騒がしたいだけのからくりの神輿に乗るべく定められているものは、人間ではなく、前記辺境主義の遺言に基づいて、ユーラシア大陸の端日本列島のその名も陸奥の地、渓流のような北上川を挟んで、岩手山姫神山が並ぶ「ピクチャレスク」な「パストラル」の地、その秘境地とすれば陸続と続く山脈嶺の真ん中にある唯一の窪み、鈴懸の峠に分け入って見つけた小さな山村、日振という、特定されてしまった地理上の位置であろうと思う。
ピクチャレスク、とは確かに西洋人が盛岡の地で発した言葉のようだ。
ここに奇跡のパスチャーを。
小岩井農場宮沢賢治、渋民村と石川啄木
高野長英の頃より始まる抜きん出た偉人の列、歴史的にも有名な総理大臣の列(数でも全国二位である)。
目を引く地名から始まっていたのかもしれない。
秘境で国を売る者と出会うことはなかった。
つまらないことでもあろうが、鶏小屋と茶色っぽい歩哨台が、出会いのすべてを語っているようである。
尾張の殿様も呼んだようであるから、何か高々しい業績のふくらみがあることを期待したこともあったと思われる。
しかし、ここ村上の家には、人並み以上の前進歩行、発展のしっかりとした計画は掛けられないできたようである。
過去の因縁を仕込んで、悪さのタネにしようと、チなる者の子孫を寄せようとしたらしいが、それも組織自らの意志か、途中で取り替えている。
すでに、多くの歌謡曲の歌詞の「原作者」と目されて来た「タケ」家系の者の娘とされる弟の長女と、やはり強制的に持たされたという兄の側の長男が合わされるという、「ツゥー」の家であったというのであるから、最終的には、都合3転も4転もしていることになる。


以上のことによって、少なくとも終いの役に、村上の家の者があてがわれていたということは確かなことと認めなければならないようだ。
他人のようには、あまりうまい役所ではなかった。
そして、その者が、真実は本当の村上の家の者でなくとも、誰であろうとも、指導者は変わりなく天下を騒がして遊ぶであろう。
ただ遺言にもあるような辺境地の家の者という位置の特定は、人間とは別に変わりないことであったのである。