再び村上の家についてのメモ


江戸時代に指定された時、またその後ずっと、コピー係りは村上の家にはいなかった者である。
曽祖父に当る武蔵という人を眼にしたことはないが、何となく浅黒い肌の人のような気がする。
私の説では、肌の色は突然変異でなければ厳密に緯度に比例して色白であるはずである。
武蔵の娘であるハナばあさんは浅黒かったと思う。火振小国では珍しいことではないか。
指定した上の家の若い主である武蔵の対応で、その後の待遇の仕方が決められたのであろう。
アン女王遺言執行による特命の出会いの占いは、「忙しい」と言ったきり、運動に「振り向いてもくれない」 と出たようだ。
ユダの地の者として指名されながら、日本国の法秩序を破る地下活動には身を寄せなかったということであろう。
運動を他所にして破る者、という八卦に当ったと言えよう。
実際にその家に座る者が誰であるにもかかわらず。
もともと泥棒を追っかけて縄をかけたという記録のある家であった。
里見京子」なる女性と見合いさせられたようであるが断っている。
タンス置くだけの家にされたためか、何時まで経っても、コピー係りの人生においても、情報の実質的な受け取り方と評価に値するような体裁の実現に途遠かったのであろう。
指導者は、「こったな者」を横目にしては、とうとう「あれは不可能だな」と見切ってしまって、悪魔活動を続けていたという。
「こったな者でさ」最後の鬼仕事か。


タケ祖母の伝えられた父親は、一晩独白節というような語りものを歌い続けて、聴衆をうならせたことがある人だという。
シンガーソングライターの神様であったという隠れたいわれを持っているようだ。
日本国の歌謡曲の原作者であるという伝えが、業界の一部に流れていたようだが、それはこの一晩の矢立メドレーショウの実績に基づいていたのである。
「記憶力一番」というお世辞にも与っていた。
ヘーゲルの額とはやや異なるが、顕著な板額に目を付けられたのであろう。
手紙筆記係りの大仕事に必要な能力であったため、音楽家としての才能とは別に、試されたのであろうと思う。
コピー係りが高校の入学式に聞いた挨拶の中に、教頭先生の贈る言葉があったが、それはなんと大胆にも、すでに配られていた現代国語の教科書の何ページか分そっくりそのままの暗唱であった。
私はたまたま前の日に読んでいたので、呆れたりヒヤヒヤしたりしていたのであるが、同級生にも気づいていた人がいたろう。
教頭先生は最後まで落ち着いて、必要な仕事のように、悪びれることもなくその剽窃訓示を垂れ終えられたのであった。
世の中もそういうことがある、という実見者のこれ見よがしの教えであったろうと思われる。
密かに舌を出しているような皮肉な気配は一切なかった。
世の中を見届けている者の、自信というよりも、諦めに近いような淡々とした心構えの、長いパフォーマンスであった。
皆何かのゆかりで高々と並んでいる花盛りの時に、この家の者で誰か偉くなる者いるか、という情けであったのかもしれない。
私はその時先生の気持ちを汲み取れるような、運動世間についてのなんの予備知識も持っていなかった。
たまげた人を馬鹿にしたような努力を見せ付けるものだ、自慢したいのか、と思ったくらいであった。


ラジオの時代になると、自発的な記憶力さえ無用な技術が地下に忍び込んでいた。
コピー係りの顔を見てということもないが、「頼んだレイディオ」と言って去って行った先生もいる。
すると、検定を受けたタケばあさんの血筋でなくともいいということになる。
期待される仕事に相応しいその者の実の有無が、ある時から激しく軽視され、なめられてきたという証拠が今に及んで見られる。
いたわしいチなる者の引きずり出しである。
「19歳」事件ではあろうが、特別に記憶力ということもない、エゴ的に心の弱い振る舞いさえ疑われている、あくまで報われない「愛の十字架」の用意。
運動を振るという、定められた大仕事に見合うような、真実のこころに出会うことは期待されていなかったといえよう。
最後に、心にもない芝居でもしたように、何の実現も実態も無く、誹謗にあずからせてしまったっていいのなんだよ。
しかし、これでは本当の最後ということに真実に実効的ではない。
ここで、指導者間で齟齬を生じたと想像される。
心内卑しめていて、拾ったもののように利用すべきくまちゃんだけではいけないのか。
すると、見上げたものだ、膨大に偉い者か、猿公のように我ばかり偉くなれればいい、と思いっきりおごり高ぶる者としよう。
こういうことのようだ。
もっと真実で遺言を果たそうということなのであろう。空々しい物盗り署名芝居とこころの真実。
キャツこそ「卑しい見上げたものだ」という声掛けで、多人数のそっくりさん作戦を展開した模様のようでもある。


前から選ばれていた、かの地の者達の一人を運ぼうと思ったのであろう。
敗戦したからといって、ほっかぶりしてそのままなんでもなくはいられなかった人達であったと思われる。
やけにきまじめな気配の濃い人たちである。
結局負けたのでもなく、飛び降りることはなかったのである。
西洋人なら絶対に飛び降りない、すぐ捕虜になる。
一人陰に回っていても決してずるをする心配のない人、それが清一というものの顕著な性格であった。
たまたま、「あの者たち」といって嫌う家に養子先を頼んだ例であったようだ。
養祖父に当る人にでもあろうか、孫子のころにはいじめられていたという。
高倉健さんみたいな人が祖父の友達になっていて、十歳の頃の健一にだと思う、裸でいるもんでない、と叱ったら泣いた、というが本当だろうか。
叔母にでも当る人が座敷の部屋で大出血怪我をしてその時亡くなってしまったようだが、救急車は呼ばないでしまったらしい。
チなる少年も連れ合いの危篤状態の時、救急車を呼びに病院まで歩いたという、写真付きのメモが残されているらしい。
似たような事を演出することがある。


やるぞ、と言って野暮芝居をやるのでも、弱くてずるをやるのでも、真実のこころで運動をノーと言い続けることはあり得なかったかもしれない。
村上の家に「直一郎」が入ったという情報があった。
ついでだが、その「直一郎」の母親に当る人の実家の者が、どこにでもある地域の運動グループの仲間に入っていたそうであるが、その仲の良い女性と会っているうちにその女性が危篤状態になってしまったことがあったらしい。
地下室内のため救急車を呼ばないでしまったということのようだ。
ある地域活動の思惑に運ばれてしまったのではないかという、強い疑惑がある。
常には疑いをかけられるような素行のある人ではないという。
また、地下運転室の占拠謀略に員数を落とされてしまった、というのはうがち過ぎだという。


実につまらない地下活動の、多くの犠牲者の方々の霊に、弔いの気持ちを申し上げたい。


更に似たような事がチなる少年にはあった。
連れ合いの首を絞めて死を早めたのではないかという疑いである。
これは疑いの域を超えない伝えである。
昔の「逃亡者」の妻殺しの誹謗の原型である。
ヘラクレスは妻を狂って殺めた罪によって刑罰を受けていたが。
「聞く所」だという幕舎内のポイントで、地下室から声の誘いを掛けていたので、見たわけではないが言うのである。
人が見ているところでは決してやる事ではない。
誘いは掛けたが本気でやったかどうか、ということであろう。
チなる少年は更にまた、侵入した山荘の台所で女性を殺めたのではないかというビデオを撮られているらしい。
小津映画にある、隠しカメラのような奥の間からの低位置アングルを据えた、全くの映画セット事件であるが、何だか口を押さえているうちにいってしまっているようだという報告であった。
どうしたって、「ヒロポン」利用の証拠取り狂言である、と教えてくれたものである。
そんなに簡単に人は倒れてしまうものではない。
あるいは被害者はその時意識を失っただけで、その後に回復しておられるのかもしれない。