Why are Goethe’s descendants so many?


ゲーテについては、主な西洋人の出自を羅列したページですでに触れているが、どうも世の小説にあるような、不倫恋愛問題とは趣が異なっているようである。
ゲーテ先生が御子を下さるようよ」と地域の若夫人連に噂が飛び交っていたようである。
引っきりなしに、毎夜訪われていたのであろう。
ゲーテという人は、遅くにお手伝いの女性を認知するのであるが、ほぼ一生涯独り身自由の生活を送った人である。
そういう背景から考えると、ゲーテが暮らした町のかなりの人数の人がゲーテの子孫であることを自称しているということが、確かな根拠があってのことと思えてくるのである。
地域の流行となったのであろう。
似たような事が、このアンド運動のお仕着せもあってであるが、信望高い地域社会の重役であり会社の経営者でもある人の身の上にも起きたことがあったという噂があった。
所々で、他にも子孫長者の話を聞かされることがあった。
運動の世の中が、不倫交際強制体制であるために起き得ることであろう。
社長さんの子孫の場合、各分野に展開して活躍しておられるということで、大学の教授や高校の教頭先生にもなっておられるという。
密かに周辺の家庭の赤ちゃんとして入れ替えられてもいるという。
どうも、こころなくも噂話を申し立てるのであるが、母の孫、弟夫婦の一人娘に当る人もその隣家の社長さんの娘さんではないかというのである。
無茶苦茶な人のこころを考えもしない、相談もないことを企む地下組織である。
赤ちゃん入れ替えは昔からのお得意作戦としてかなり行われていたようで、周辺を振り返ってみて気づかされることが少なくない。
母には子もなく孫もいなかったのである。
先日、母の実家近くに住んでいたらしい、加賀まり子さんにそっくりな家系の人たちのことを書いたのであるが、この人たちは実はそのゲーテの子孫に当る人たちであったと、昨日有名な童謡歌手の思い出番組を見ている最中に教わることがあった。
近くの農家の嫁さんも似たような顔立ちで、田んぼで働いているのを遠くから見るのと違って、近くで見ると意外にいかつい印象がそっくりである。
ゲーテの子孫としては遠望絶世の美女であるが、一方ドイツの農家の主婦の子孫である、ということなのかもしれない。
母が生存中かなりの人数のヘルパーさん方にお世話になったが、何だか日本人離れした目鼻立ちの大作りの若い娘さんがおられた。
今なら、ドイツ人だと思えば、ああ加賀さんの系列かと顔からそっくりに見えてきたであろう。
三沢辺りで混血した方かと疑ったこともあった。


このように、用意された、徳川氏の流れとか、ゲーテやヴィヴァルディやヴィトゲンシュタインすなわちブルボン朝の流れとかが、すでに明治の代から集落に寄せられ落ち合って、肌を擦り合わせるまでにして暮らしていたのであるが、コピー係りには至ることはなかったのである。