世界のへそに指定された小国の村は


古くは、遠くアイルランドの人々と特に深い関係にある日本人グループに含まれることが分かっている。
これは全くの偶然であった。
日本では珍しいストーンサークルの発見地域である。
写真で見たタラの地さっくりのストーンサークルが隣の市にあるが、これが南限で他の町に絶えて見られることがない。
川舟という山中には珍しい地名がある。
大がかりな木抉りの術が博物館に展示されていた。
ピラミッドの時代に船団を組んで、シベリアからリマン海峡を渡って来たものと推定する。
大館の日本犬もその時に渡って来たものであろうか。
顔の特徴から、ポーランドに類縁がいるようだと指摘されている。
石工に腕がある人たちであれば、木刳り術に秀でているのは当然のことであった。
南方にも石工術が進路を取って進んだ遺跡が点々として発見されているので、中国辺りにも類縁の人達がいることは想像される。
しかし縄文時代には、東南アジアからそのコースが日本にたどり着いたという跡は発見されていない。
他の地域にもあるのであるが、蘇民将来蘇民祭が、ケルトの祭りにも淵源があると思われるフットボール祭に似ているのは、もしかしてこの時代の人々の渡来と関わりがあるのではないだろうか。


また小国村は有名な田村麻呂につながる大一族の流れが住み着いたという伝説のある土地で、状況証拠から確かなことと思われる。
日本史にも有名であるが、漢王朝霊王の子孫の流れとして朝鮮半島南部にまとまって暮らしていたグループであったようだ。
小国村一番の苗字として広がっている。
はっきりとアイルランド渡来の顔の特徴とは区別される、顔かたちの遺伝子が見分けられるようである。
約一千年前の渡来である。


中世封建時代の大名、武士の子孫という人々も数多い。


明治維新後、このあんど運動の運びで、早くに徳川家康の子孫松平氏が入ったといわれており、またゲーテの子孫が入ったといわれている。
だから、すでに日本史にも現れて活躍されておられるものと思うが、徳川家康の子孫でありまたゲーテの子孫だよ、という人が、現実に小国の村に暮らしておられ、また小国の村の出身者として近くにもおられるわけである。