みちのくエンデの山がいかに


前線を成すように一直線に並んでいるか、地図で確認できる。
沢内北上遠野。
その線分のちょうど真ん中南方に雲南神社が建っていて、そこを水源とする口内川周辺の盆地に雲南という地名が授けられている。
明らかに一帯に農耕繁栄の儀式の跡と思われるが、昔の日本政府の農耕技術信仰意識に雲南という地名が宿されていたことの証であろうと思う。
畦囲い水田技術は棚田から始まったのかもしれない。
北上の雲南の盆地状の地形にも、まざまざと、段々に口内川に向かって水のプールを張っていく、昔の設計施工の様が偲ばれるのである。
昔の人こそ、よく大昔の起源的な記憶を保ち続けているものである。
越王安倍氏の侵攻事の事績と思われる。
北上は安倍苗字が地域の本家のように代々伝えられてきている所である。
安倍氏黒沢尻正任黒沢明安倍晋太郎ダライラマ、顔の特徴も覗き見られるラインではないか。
国史でも越王というものは特異で偉大な現象であったようだ。
その頃の中国史の事績にちなむ成句が日本には特に多い。
呉越同舟臥薪嘗胆、など。
専門的な故事来歴博士なるものが日本の古代の政府を導いていたのかもしれない。
いいで、せんだい、せんにん、せんぷく、などというクイズ的な地名の当て字命名法もその頃の漢字博士の仕事と見る。
せんだいは鹿児島にもあり、せんにんは立山近辺にもあり、いいでは福島にこそ大地名である。
日本全土的な古代政府の国創め仕事と関わりのあることであったろう。
北上市のちょうど等距離左右に、和賀仙人と釜石仙人。どちらもその特徴とする地形と深い因果関係があって、日本国を代表する鉄鉱石の産地であった。
せんぷくは秋田にある地名であるが、そこから移住した人々がいるというので、雫石川の南に位置するのに仙北町という町の名が盛岡市近くにある。
わざとにも、国治めの願いを籠めてのことであろう、立山、鹿児島、と全土的な配置がもくろまれていることに気がつく。
企画的祭祀的な事跡であれば、その時々の偶然的な命名とは違い、やたらにあちこちにあるということもない。
西和賀北上遠野と繋がるラインには、日本古代史に一度しかなかった、珍しい国治めの故事来歴が秘められていたようである。


以上米国ケンタッキー生まれの先生のご貢献であるという。
いつもは先生方の署名もなくコピーしているのである。