絶対にまむしのたばかり、眼の付け方があまりになっていない


何度もいえば、この期に及んで、発見して向かい合うべき罪の所業と責任は長野県一杯の山脈の如き重量で、日本国に現実に存在しているはずである。
プロに近い聞き込みなりの捜索と発見がなくては、上滑りで犯人の手の平の上にいるばかりである。
本当の犯人を見つけて根本的な処分を成そうとするなら、忠臣蔵以上の、着実な客観的な連帯の努力が必要なのではないか。
そんな仕事に女性を連れ出すなぞ、絶対にまむしのたばかりである。


子供には本当の事も分からせずに、敵愾心などを持たせないように。
その心の弾みを利用されて、うまうまと、本当のまむし男達のふところに抱き入れられて、甘い汁を好き放題に絞りつくされ、捨て去られるだけであろう。
世界最大なくらい、冷酷無残に、ずるく醜悪に企んでいるものである。
長島町民等狙われる日本人側としては、眼の付け方があまりになっていない。
それも悪いと言ったって、他に犯人がいないみたいに、眼前に疑われる世界最大の醜悪の存在を見過ごし見ようとしないのでは、立って危険と対応しようとしている人間とは思えない。
やってしまう活動員は隠れて銃を撃つ人ばかりではない、目の前に立って声や手をかけているはずである。
あれイドだイドだと言ったって、自分こそそのイドとぴったりくっ付いているかもしれないのである。