映画を観るようだ、と言う指導者の心中 映画と現実という諧謔


先日の、それでやれる、と言うが、それで何をやれる、と言っているのか、という問題であるが、実態に即した表現をすれば、国を沸かせる、ということであろう。
指導者の戯け心の方角から観ても正鵠を得た言い方である。
それから何かが成るなんて、と言いながらジェントルマン・アンド・レディー達が東京を歩いていたそうであるが、指導者の心も全く同じことなのである。
それで成るものなどなく、成るものが成って、その都度に過ぎ行く映画の画面を観るように喜んできた、というのが真相であろう。
心底のニヒリズムとはこのようなものなのである。
先生の心の奥を、と女性記者に問い掛けられて、(何も百年も)「映画を観るようだ」と洩らされた事があったのであろう。