コピー警察活動は確かな道である


 りすがしゃがんで空を見ているような、天気予報みたいな不確かなことでは、永劫に弔いの線香が上がらない。
 犯人実体が誤魔化されているし、分かっていても声を出して指摘する者もいない。
 

 まず、犯人実体の責任追及と弔いの線香の上げ方が分からない、という現実を認めるべきである。
 でないと何をやっても何に向かっても、敵討ちの実を上げる方向に一歩も歩を進めたことにはならない。
 巧みな飲み込み戦術に誘われているだけのことであると皆で話し合えるようだといい。


 犯人実体側が今時コピー警察活動を手伝っていることがあるかも知れない。
 しかし、この警察活動は古くから続いてきたものであり、インターネットに拠る活動も3年以上経っている。
 手伝いに来たというのであれば、手伝える人もいるだろうが、300年総括の精神は揺ぎ無いものとして、変わらないものとして続いてきたものであり、その精神の方が導くものとして先にあるものなのである。