Y町歴史遺産金山跡の写真


 Y町関係者の写真を無断にコピーして紹介いたします。頂は西部劇の砂漠のようでした。しばらくはY町を含む県南及び涌谷町等の各地域以外に日本に金を産する所はなかったようです。この金産によって金の国ジパングが紹介され、コロンブスが大西洋を渡ろうとし、アメリカが発見されるに至ったのです。遣唐使等が生活費に持参していたという砂金もやはりみちのく産の金であり、室町時代の日本古典文化の発展も、この金との交換で入ってきた大量の中国銭を基にした商業の隆昌によるものである、と司馬遼太郎氏が書いていたようです。
 Y町は以後絶えざること無く賑やかな鉱山の町でありました。金はすでに見つからなくなっていて、ほとんど銅山に変わっていたのではないかと思います。「銅の粉が吹いているような」山肌もこの頃の豪雨ですっかり緑に覆われ見失われようとしています。「げに此処はなめ石を求むる所にあらず。まことの草の葉の種」でも得られることがあろうかと向かうまでもない方角であったようです。「近国無比の景勝地」と称えられた峡谷を抜ければ、それなりの奥行きのあるお迎えはあったでしょう。


 以前少し触れたことがありましたが、南アメリカのエルドラード伝説の実体や、最近発見されたという古い金属文化の存在を此処みちのくからの直接の伝来と考えられないでしょうか。インディアン移住経路の北アメリカに皆無の飛び火のような、一地点的な技術の登場ではないでしょうか。
 「辺地へ、辺地へ、という情熱がある古代史に存在した」 もちろん極東日本にまで訪れていて、国始め以来大きな影響力を保持し続けてきた明らかな証拠があります。(例えば、ウズという語を烏頭と記すことがあり、日本国を代表するユニークなヘアファッション、ちょんまげの発想の基となっているのではないかという疑いがあります)  しかしそれだけでは止まず、一部陸奥の地に突き進み、更に海にまで出る、ということは今までの流れから当然あり得ることです。その先に何があるとも知らずに。青森に戸来という苗字があり、キリスト教と関係付けて由来を語る人がいます。
 この精神がそのまま現代のあんど運動の主要原則に注ぎ継がれて、このような地下活動のあまねき発展が地球上に見られたのであろうと思われます。