眠れる美女作戦というのは古くから (Nick & 金)

        
 

 


 
 沢内飯豊(いいで)地区周辺から眺めた三角形の山。近くの切り込み深い沢の沿いにミニチュアのようなストーンサークルがある。北上市内の飯豊と線を引くと、遠野の飯豊六角牛山に繋がる。この線分の真ん中に、推量藤原の実方の捜し求めた阿古屋の松の古跡と平泉以前の古寺があり、全国でも珍しい雲南の地名の盆地状の土地が続いている。明らかに、恐らく古代王朝阿倍の比羅夫の東征時の農業始めの儀式の跡である。(以上すべて組織地理学研究員の仕事を報告したものである)

 

1. あったようである。 衛星第二で放送中の「若大将シリーズ」で教えられることがあった。 ヒロインが次々と消えてしまっている恐ろしいシリーズだったのだろうか。 その頃のスポーツ界のスターのこと等も紹介される。


 古い映画を観れば観たで何か教わる。 観なければその時教わることはなかったであろう。 出会い機縁であることである。たとえば、気が付けば、昨日の岩手日報の夕刊でも、運動の暗示的な情報を籠めた記事で全ページが満たされているように思われる。 「目に見えるもの」と「目に見えぬもの」特に個人的情報などは読み取りきれるものではない。 偶然な事であるが、映像と共に気が付かされることは能率が好く明快であり易い。 古い映画は仕事と思い、観続けて行こうと思う。


 ドイツには毒で眠らされてしまった眠り姫の童話パターンがある。ドイツ人グループの荒業ではないかという噂が出ている。 本部からの指示であることに間違いはない。川端康成の「眠れる美女」も、このような強引淫猥の隠された事実からヒントが届けられた作品なのであろう。 喪われた美人関係者に会いに北欧の暁闇を訪れることになったのかもしれない。


 被害者は日本人ばかりでないようで、オーストラリアの美人歌手も神隠しに遭った一人なのかもしれない。 盲目の同名の歌手が現れたりするが、その不在が口にされることがない。 「その肢体に発狂したという体で」という催眠儀式の事を聞かされた事があった。 意識不明にしてもものにしたい、という野獣派男の欲情を妄想して制作した罪業であろうが、現実には「仕置き」という言葉を使っての拉致連行指示であったという。


2. 国を二分け様に分けて、という言葉があったが、
 ちょうど日本の奥羽山脈を東西に分けた辺りとの、地図による緯度的対照の選定かあったのか。 人選は顔の特徴によったものと思われる。


3. 戦後直後に陸奥の農家に訪れた健の祖母は、後に嫁にもらうことになる陽子の実家と古くに縁のある人だったようだ。 その陽子にも鹿児島の縁があった。 似た者同志の夫婦であったわけである。 伊藤ゆかりさんで 「遅かったのかい、君はもういない」というのは、藩主の縁ある人と夫婦だったというが、後添いのことだったのか、という意味内容になるらしい。
 入りかねて困ってしまい、あらぬ事を一度頼んでしまったことがあったらしい。しかし以後はすっかり正直誠実に家族と付き合い、兄妹中一番おとなしい立場にいて、一心に農作業に身を挺して働き詰めたようである。仲のいい兄妹関係が成立していた。曽祖父も祖母もいた家の一員として認知されたと言っていいであろう。
 長男の相続に関して外部からのアドバイス通りに動いたことがあったらしいが、近隣の人に言われることがあればまたその通りに直している。
 他人の戸籍を奪って移動したことはなかったのかもしれない。建具師の人の家に預けられていたようである。何とあんたらには塾という立派な制度があるじゃないか、と帰る事を勧めたようであるが、止めた、と言って断ったことがあったらしい。仕事の手伝いをしたことがあったらしく、本棚を何回も作っている。釘を使わない梯子も作っていた。常に何かの修繕大工仕事を抱えている習慣があった。
 病苦との闘いで、退職金をもらう地位にも預からず、勤勉国民の代表に相応しい年金生活のゆとりを一時も味わわずに、66歳で亡くなっている。
 最後に、弟夫婦に向かって、頼みたい、近くに移らないか、というような真っ正直潔癖な謝辞のような事を述べたことがあったと聞かされている。家にいる長男が嫁も貰えずあまりに頼りないから、残される家と呆け気味の老妻の世話を頼む、と言っただけのことかもしれない。老人介護福祉制度もまだなかった。