運動関係者の出自近辺調査予備資料


 1. 長崎には元隠れキリスタンの人達が多いようである。江戸時代に非人身分でいたということはないようである。鎖国を止めてから西洋人が入って来て、長崎では居留地に教会が建てられていた。ある日浦上に暮らしていた隠れキリスタン農民が、それを眼にして神父さんに近寄り、自分達の旧来の信仰を打ち明けたのだという。200年ぶりの再会であった。お互いに大感激であったろう。
 ところが江戸時代の、信者を川責めにしてその肉を刻み虎の餌にするような、厳格な邪宗門徒の見せしめ刑罰はその頃は未だそのままであった。早まって名乗り出てしまったのである。全村民村を追われ、牛馬の如く閉じ込められては改宗を求められたものだという。

 
 2. 鹿児島県民の運動関連も少なくないと考える。南国には伝統的な河原生活者グループがいた。江戸時代には見世物くぐつ回しの技芸も伝え有していた人達であったという。
 

 3. 組織は混血人を好む。400年前の渡来郷士団を見つけ、早くにも画策していたようである。
 偉い人は必ずその組織調達の因縁を背後に控えているものである。白皙の大久保利通はおろか、西郷隆盛もその系譜あるによって特大スターになったのではないかと疑う人もいる。


 4. また「イリヤ」計画と呼ばれる二王血統の投入作戦が古くに陸奥の地に舞い降りていたという情報があった。二王とは、どことどこの流れの二つを言うのか。菅原さんのお祖母さんがその方のようで、その家のご主人が自ら、俺は仁王様だ、と口にされていたという。本当かは分からない。湯田町にもそのような由来を持った似たような風貌のお祖母さん方がいたのを思い出す。同じような年頃の方たちである。


 5. 日本国の歴史上の作品作りにはやはり日本人達が駆り出されていたのであろう。原案がイギリス組織にあるとしても、日本人の日本語協力がなくては作品として練り上げられない。「匠たち」という称号が与えられる。
 全作品の陰に実際の産室があり、無名で埋もれてしまった匠達のいる事を想像する。