黒自称する者は腹底から黒の者ではあり得ない(黒柳)

 


却って珍しいほどの正直者、率直な者に違いない。ルートに一人何故か徒刑者をやっていた者がいたということである。
 復活ラインは長くシベリア越えでユーラシアを渡らなければならないという企画であろうか。遠い部屋遠い声を聞いてみたい。ユーラシア宮殿建築物の端から端へに相応しい。民の声神の声。
 徒刑者流刑地といえばオーストラリアが有名であるが、アメリカでは南部ジョージアなどにも送られていたことがあったという。日本では、北海道も明治30年代まで流刑地に定められていた所があったらしい。また、京大阪の罪人が九州の小島に流されるという、藩境を越えた処分も江戸時代にあったようである。
 運動の終幕にも、弥終の旅が男鹿半島でボキッと折れて終いになってしまうように、王室組織の運動員中にも馬鹿正直にも中途してしまうような、一種バージン男をユーラシアの東端にまで流浪させたという推理推測が可能である。がんじゃぎゅうふっかつ。
 上の家の者も見事に長く軽蔑され続けてきて、一人とて一つ所とて摘みようの無いつなぎの者として景気のいい世の中に押し倒され続けてきた。(そんな情けない者が世にあろうか、という者を? と)


 つなぎの者の父親と思われる男の心ざま、舟木覚悟について。
 「もう」単純に明日に渡す「舟木」になって、水平飛行様に「登場中」であったという報告であった。隠れ仕事をして日延べ暮らしをしているのではないのである。超人滞空時間。明日があまりに重大な非常時身投げを果たしたということであろう。
 その子供も、遂に人と肩を並べる一息も吐けずに勤勉節制66歳の生涯を終えてしまった。投げたことのない完璧運動社員の魂であったろうが、古い上の家の祭り事を疎かにすることはなかった。しかし最終的に、屈辱であるばかりの人生決算二代であったと言えよう。