日本人とは何か 建国記念日に読書して (A & Park)

 

  (霜が下りた朝の棚引く雲と青空を仰ぐ)



 南方里芋文化の渡来は間違いない。厚目の唇、豊かな耳朶、二重瞼、頑固な母音結びの原則等日本文化の顕著堅固な基層を成していると考えられる。


 後にバイカル湖近辺から細石器文化縄文土器文化と共にブリヤート人が訪れる。遺伝子的調査によっても色濃く共通点が発見されているようである。上記は眉黒、縄文土器人は蒙古人的特徴を有して眉毛が薄かったと想像する。1万年前。言葉の影響は圧倒的でなかったようである。


 中国とも同じことであるが、歴史的には最も渡来人の伝記が多い隣国人ではあっても、歴史以前には言葉に影響を与えるほどの半島人の渡来はなかったと言い切れるようである。外来的影響を抜いて考えると全く見ず知らずの遠国関係にあるような語彙間の縁遠さである。


 弥生人揚子江口から越人が渡って来たという説が紹介されている。半島人の渡来もあったであろう。歴史に定かに記されていることではないが、国支配の争い、国同士の争いの影響による渡来である。


 文法はトルコ語とそっくりであるが、韓国語ともそっくりである。民族の成り立ちというより、支配者階級の事情によるものと推理される。日本語では語彙の共通性の発見は珍しい。素直な共通性の指摘は重要視すべきであろう。語彙の独立性は自然にも島国の孤立性に説明を求められる。


 ウラル諸語族アルタイ諸語族間では、印欧諸語族間のように語彙の親族関係を辿ることはできないと報告されている。民族の興亡激しく、記録が途切れ途切れになってしまった為と考えることができる。


 北海道東北地方にあるストーンサークルの遺跡は、ヨーロッパから出発したゴート族の遠路の跡ではないかと想像される。文化だけが点々と伝わったものとは考えにくい。生存必需の構築物ではない。天体方角的に突き進んだ別の例がある。ストックホルムからゴトランド、グダニスク、そしてブダペスト。辿ったと思われるコースをつなぐと見事に真南を指している。測量したように奈良の大和の真東に伊勢があるように。時代は遥かに下がるが、国の創始期には天体計測的な位置取りの事業の跡が他にも見られる。