上の家の者についての憶測、噂。


 ホームラン王の野球選手等になって活躍していたのだという。歌手では沢田研二さん、郷ひろみさん、俳優では里見浩太郎さんといった顔型。
 江戸時代にも田を分けて「商売をして」しまった事があったらしい。地域では、大胆にロシア、アメリカ、イギリス、スペインと大雄飛に身を投じた家族を出している家が多いのに、ここでは精々近隣の町屋に入ったぐらいではないかという推測がある。近くの菅原さん本家にも流れているようだという噂がある。
 「東京にはもう何度も行きましたね」ということで、関係者の以後の大スター活躍があったのであるらしい。
 バーナード・ショーのような人が上の家の流れを負って登場しているという話をきかされたことがあったが、実縁者という意味ではなかったようだ。被ったというだけの挨拶のようである。若造野球帽を被って、という表現を見せられることがある。平均より低いという意味ではない。少なくとも鎮守様の家である、森の家として冠る謂れがあるという被り物である。


 重臣家系の者と上の家の者との出会いにはちょっとした因縁がある。恐らく目留間真さんのように瞳の黒々として大きな男の子が陸奥に上って来た。家族を亡くした遺児であったという。海から上がったのであろう。年頃になって里見京子という名の女性を紹介される。「俺はお前と生きていけないな」と今頃よく聞かされる言葉で断ったという。家族を亡くしてしまった過去から言うのであろう。里美さんは重臣由来の方であったのであろう。昔の事を忘れてしまっている訳がない。ひょっとしたら犯人なのではないかと疑ったのかもしれない。
 スパイが入って日本国の秩序を乱している、と真剣に思い声を上げた事には十分な経験背景があったのである。「結うが」「結う、結う。もの知らねのだ、みな」
 あまり口を利かずに用を足しに歩く人だったという。連れ添いが乳癌に罹り、仙台の東北大付属病院に入院させている。その病室で亡くなった愛妻が、わたしの所為で先祖代々の山を失くしてしまうと嘆いたものだという。妻思いの人であった。