アラン・ドラン資金よ、昔、一部Y町女性応対要員手当てだじゃ

  
                   (西空のアカ色三日月)


 以下すべて組織の命令の為せる業である。
 県下のなかなかの不動産資産となっているようである。
 仏政府がコピー係りなどに、失われた仏文化遺産を贖えと迫られても困るのである。ここでは主に女性差別六部差別地域差別ラジオ局と絶え間ない苦悶時間を担当されていたのである。
 コピー係りは、仕事も高校生活もできず、奈良も京都も観たこともなく、人の手を握ったことも踊ったこともない。軽蔑するなら軽蔑してくれてもいいが、人前で歌を歌ったことも人並みに口を利いたこともない。偏差値30台のことはある。歯も磨かず顔を何十年と洗ったこともなく出歩いていた。くさくて近くに寄る人もいなくなっていた。ずうっと鏡で顔を見たこともなく、今でも自分の顔をよく確認できていない。この間はパンツをちゃんと履き替えて目やにをとって盛岡の会合に通った見たことがある。珍しいことであった。小沢氏が、福沢諭吉(概本)でいいじゃないかと仰られたと言うのもこの時のことであったようだ。何で顔を洗って歩くのか分からない何十年もの半生を送ってきた。軽蔑しているのが本当である。ただ地下は一貫して醜悪極まりない蛇である、と仕事も人生もなく、家族を泣かせても収容されても叫んで来た。
 「いっつもピーピー(貧乏) だじゃ」(隣家のSさん) わざわざ金掛けてみんなアカにしてくれる。臆病、無能。いやぁ、たまったものでない。皆、金掛けてビカビカと光って、飲み食いして、いい男前で、得意に自慢して歌を歌って踊っている時に。
 

 アラン・ドロン給金、この者には一日も欠かさぬ迷惑費、アカ代であった。