解かるべき究極の謎、微積分数学の証明と千年の京 (Alan)

  御近所の綺麗な石庭。建築工事現場的な所に立ち入り無断で写真を撮らせてもらった。



 微積分の智慧は全く経験的に発見されたものである。証明されたのではなく、レポートされた真理である。現実世界に応用されて確認される以外の数式的展開とは両立しない。
 複素数とは妙なものである。実数と虚数が解決されずに置かれている。迷界巡りたどき役以外に、何の大きさの解に至るのに役立っていると言えるのだろうか。役立ってはいないのではないか。


 千年の京。妙な話である。見当が付かない。新住民の自ずからなる生活工夫芸術努力に過ぎないものなのかもしれない。この時代に英国仏国ということがあろうか。世界史大企画が予め立てられていたと信ずることもあるまい。自信があったとも思われない。
 桟たるもの。藤原道長満月下の文学の賑わい。千年? 西暦1000年のことか。 
 比叡山で、僧等荒になるぞ、と予言して立ち去って行ったというが、どういう訳か、やはり西暦1000年に、見た事もないような僧兵の乱暴が始まっている。
 この頃からまた、西洋中世の騎士と貝合わせの一方のような、弓馬武芸者武士階級が興起している。よその国には見られない。
 石山寺紫式部蜻蛉日記更級日記。アイデアの清澄に浮かぶことのある史蹟のようである。しかし松尾芭蕉の近辺での句作品は凡のようである。
 絵巻物。明かり障子。付け書院。床の間掛け軸。違い棚。帳台構え。銀閣寺。欄間。蔀。基本単語の英語とのユニークな対応。格子縞。漆喰。屋根瓦上のトビの尾。
 

 三千年もの。三千年というのは嘘なのではないか。古文書にそういう記録があったので言い立てているのであろう。1500年代、1600年代に発見したことから始まった仕掛けの大発展というものが世界を覆っている。三千年もの間継続して、組織的教育連絡のある世界各地の手口活動があったとは信じ難い。