上の家の母の先祖と言われる


鹿児島人の女性について。ルーツにある事績があって見込まれ、はるばるみちのく奥地にまで誘い出された人のようである。鹿児島は暖かく大都会である。連れてきてからの待遇はわざとらしく放置状態であったようだ。その状況下に、白い物を散らしたような現場の証拠写真を撮られているという。実は鹿児島城下でも先祖が何かのビラを散らしてしまったという咎で城下を払われたことがあったらしい。この伝聞を再現したようなペテン写真と断定していい。思い出すことがあるが、その写されたちらけているものは紙切れではなかったか。わざとらしく一杯に。
 「証拠がある」とその写真をその筋に届けられたのか、恐らく盛岡辺りのの施設に収容させられたのであろう、そこで後の世の為に何人かの子供を持ったのではないかという推理がある。
 「証拠がある」とは、昔鹿児島でビラを撒いたという遺伝子証拠がある、その縁で乱暴にも連行して来た、ということでもある。薩摩隼人そのものであった。
 この間、宮城県のその名もササラ石遺跡で日本で初、今までの最古年代とは超絶的に遡った旧石器時代のアシュール石器が発見されたとその証拠写真が公表されたことがあった。学会でも評価され信じられつつあった。その後ペテン行為による虚偽報告であったことがばれている。組織が一度した事を何故か考古学会でまた働いたパロディと考えていいであろう。