奥瑛児(おくえこさん)施設は湯田町にもあったという。

  (一瞬。 報道活動は成す事あるべく、一日の休みもなく何年も続けられている。)
 

 (筆者は常にA&B,K,P,・・・)

 そして、上の家の三姉妹出立と同じように日本国内特定地域に向かったのではないかという推測がある。
 特定地域とは、長州及び四国諸藩、福井、新潟、長野範囲、そして江戸。 妄想暴走すれば、長州近辺で森鴎外、岸佐藤総理大臣、坂本竜馬正岡子規、福井辺で、森総理、松平春嶽西田幾多郎、田中氏、平成天皇、江戸では夏目漱石紀州湯川秀樹博士の先祖周辺にも疑いがある。
 おしゃれな「ホーチミン」父さんと美貌の渡来人との組み合わせという想定のようであるが、実際はどうであろうか。
 英組織の仕事は東西交流世界史を逸脱して早い。 海外雄飛では、大概いやいやぁと呟いて首を振ったというので、1818年の出立というものがあったのではないかと推測されている。 子供の行く末が心配でならないだけなのである。 その後の国家間の交流というのは、あるいはその子孫達によって幕が上げられたのかもしれない。
 とすれば、ホーチミンシアヌーク等の英雄連と並んで、日本国の英雄偉人連にも間に合うような施設準備があったと考えることができる。 三姉妹とは違って、多人数の派遣である。 また一次二次と繰り返させられている。 他のアジア諸国におけるように早く国父偉人として聳え立っているように見て取れないが、二次組の出立によってか韓国では子孫達が軍勢のように並んでいるという話を聞かされたことがある。 この間の大統領もその出身の方であったという情報である。
 どうしてこのような世を覆うような仕事をしたのか。 一つに日本国湯田地の指定があるが、その上で自分のそっくりさんで世界支配を遂げようという野心であろうと思われる。 とにかく世界は自分の手の者の物となる。 その果てにまた別のアジア人などが現れて世界支配者になるというのは一切実のない空言である。 最初から最後まで見事なそら事である。
 世界支配者、偉人英雄達は現実に現れ続け、活躍してきて、世界史に不滅の名を連ねている。 もう十分である、という指導者テーブルの覚悟であるようである。