運動3000年と言われる原世界史運動

  (自作石池の全貌。)


 (筆者は常にA&B,K,P,・・・。ここにいるコピー係り事務員ではない。)

 何一つ詳しいというのでもないが、オラだ拙くなったな。 過去の実績が殿堂のように所々覗き見られるによって述べられた言葉であろう。 3000年という観測には実感させられるものがある。 馬鹿にはならない歴史創作者であった。 
 妄想の一つに漢民族の押立というものがある。 初代統一王朝の名が秦。 日本にも馴染みの漢字名である。 偶然ではなかった。 八幡神社の八も秦の同義語であろう。 周囲のアジア諸民族の言語と独り異なる文法、西欧古語と音声の共通性の多い語彙、広域大民族でありながらまとまった顔貌の特徴。 このようなことも3000年と関わることなのかは謎である。
 中南アメリカにピラミッドを建てたのも正しく3000年精神の仕事であると推測される。 エジプトではピラミッド石大工をやっていたのである。
 各地域でそれぞれの大工設計とその施行が目論まれたものと思われる。 一過性で歩いているようだという観測発言があったが、古代の事でも言うのであろうか。 西暦1000年頃の活動ではそのような派遣事業的な事実があったのかもしれない。
 「拙くなったな」 と感嘆する程の過去の実力はどこで養われていたのであろうか。 自らの民族を標榜する国を長く持つ事もなく。 スベイン、コルドバが唯一世界の文化の中心であった時には、コルドバの図書館に建築、文学、デザインの苗床があったことは間違いない事と思われる。
 藤原道長宮廷下、石山寺は一つの重要現場であったと見ている。 色紙和歌。 絵巻物。 明り取り障子。 襖。 格子建築。 欄間。 頂戴構え。 床の間、幅。 格狭間、眼象。
 西暦1000年前、日本では蘇我氏秦氏がいてそれなりに国造りに関わっていた。 しかし蘇我氏は討たれる。 その悲しみを稲荷神社の一面朱で表しているのではないかという推理があった。 何か気付かれて、蝦夷、赤兄、入鹿などと貶められる。 キツネというのは、ある顔の特徴から神社に祀られている動物なのかもしれない。 その後も所々で日本人武将の先祖として舞い降りていたらしい。 顕著な例に平家。 千利休織田信長明智光秀なども勝手に疑っている。 またそういう背景では、武士の起こりの代表者多田満仲等も疑われてくる。 著名人の場合でなくとも、時々山から日本国に先祖を下ろしているようである。 少なくはないと思われる。 古今日本国の英雄は皆施設児の子孫であったなどと言えることがあるのかもしれない。 また、各地元の名主旧家有力者でもあるいは先祖は山から降って来た方達であったなどということがあるのかもしれない。
 スペインの王国に美人を運ぶ。 その流れは西欧の王室に広く及び、果てはナポレオンやメキシコの王室にまで亙っている。 スペイン継承戦争とはその為に工作された戦争なのかもしれない。 簡単に戦争を起こす王様方の西洋史ではある。 イギリスにこそ執着していた運動と思われる。 日本語基本語一部と英単語との妙な共通性は、この3000年運動の企画制作にその原因を求めることができる。 また日本の馬術弓術武芸者の作法と中世騎士騎士道との類似性も。 漆喰建築も似ているが、日本の方が遥かに古いか。
 ベーコン、シェイクスピア辺りも3000年運動の影響を受けていると考えるが如何であろうか。 王室が早くから個人的に付き合い待遇してきた例もあったと思われるが、結局ある時点で集団的に世界的戦略ごと見つかってしまったという事があったのかもしれない。