呉れるってありゃしない上の家の三姉妹について

  


 (執筆者は常にA&B.J.P・・・。 コピー事務員は正当に無名で終わる予定である。)

 代々他家に呉れるばかりの由緒を持ってきた家であったが、この場合は先祖代々の精魂の本田を請求されたその値。 部落の圧倒的な地主であったようで、裏山巡りに山田を拓いて一町歩の農家に復旧していたようである。
 外国人輸入は、日本から出るのと同じくらい古くからあったと思われる。 先述の偉人所縁の場合、サンスター施設児として、眉目秀麗の方々がそろっていたであろう。 出会い易かったであろう。 「門前を通すな」 などと言っていても結局眉目鼻筋の超絶佳人とは会ってしまう事になる。 二人、という契約もあったと推理する。 上の家でも、下って明治20年頃に、兄嫁と弟嫁に一人づつ不倫長子を抱えさせられるという出来事があったという。 有り難がってはいなかったようである。 東大を出ては次々と日本国の偉人を輩出している時に、アカ呼ばわりされては以ての外の軽蔑起源差別起源のように表現される。 アカとは鹿児島人の肌の色から言った言葉のようである。 他に忌まわしい意味実体はないと断言してよかろう。 苗字から言うのでもなかったようである。
 サンスター美人と違って、山中農家の実の娘達は苦戦したようである。 比べれば鼻も素朴に胡坐をかいていて、山育ちも恥ずかしいだけで連れられて出てきたのである。 たぶん朝丘雪路さんみたいな顔立ちの人達であったろうと思う。 エリザベス女王陛下にも似て見える。 しかし混血美人達と異なって、結局彼方此方かわされてしまったと思ってもいいのかもしれない。
 顔の形が英語で oblong と噂されてから、何かの箱積み表現が始まったようである。
 上の家は乞食でもなく、忌まわしい由来を有するのでもなく、アカで獣でもない。 用心深い鎮守様旧家に過ぎない。 引っ張り出されただけなのである。 大食漢の芝居まで請け負って、組織との付き合いを淡いものにし、立ち消えのものとすべく対応した例であった。