切り裂きジャックの子孫が日本に入っていたか

 以下京都大学の先生のウェブ記事に基く。
 切り裂きジャック事件は1888年。 その子孫が入るのには、いきなり西洋人の姿で叶わない。 例によって香港施設で中国人との混血児を育てなければならない。 日本人に近い顔貌の子供が運ばれる。 香港辺りでアラン・ドロンによく似た中国人を見かけたことがある。 中国に残った施設児の子孫の方なのであろう。 あるいはアラン・ドロン氏自らも、日本に渡らなかった側のチルドレンの子孫の方なのかも知れない。 若き頃ベトナムにおられた事があったようだ。 東洋的な由来をほのめかされることがあるが、単に似た人を中国で見かけたことがある、ということを言っていただけなのかもしれない。
 とにかくジャックの息が香港で子供を持ったとしたら、最短距離1905年頃の日本国上陸となる。 
 しかしなんと言っても、この事件は迷宮入りで、犯人が誰か確定されたことはない。 
 ウェブの先生のご研究による推定を簡単にご紹介させていただく。
 日本の関東大震災時の疑惑と同様、社会主義対策で官憲がでっち上げたもの、という結論である。 切り裂き殺人事件は存在しなかった、従って切り裂きジャックという犯人も虚構によるものであり、一切存在しなかった。 ロンドンでも自殺者が多かった。 病院の記録によると、特に首を掻き切る自殺事件が多かったようである。 警察の捜査は特定地域住民総当り的で、住所を聞くだけでアリバイも聞き質そうとしない、始めから犯人を探す気のものでないような調書記録であるという。
 犯人は官憲、検視官担当医師である。 臓器の摘出の技が専門的で、医師が容疑者に上げられていた。 罪は自殺者遺体損壊と虚偽報告職務違反。 
 特別な背景があって、ユダヤ差別意識を高めようという工作でもあったという。 警察内部に亀裂があってその趣旨作戦が貫徹実現されなかったようである。 前年度に大人数のデモが起きていた。
 もう一つの背景に、英王室王子の許されぬカトリック女性との恋愛問題があったと言われている。 その後王子は婚約者と結婚するに至らず亡くなっている。 元々弟王子の婚約者であったが、病気の兄王子が元気になったので変更されていたらしい。