「お正月を写そう、ポン」

 上の家の父親の精神原点
 島津藩における長い奉公を恩義と感じて、日の丸と神社にあったようである。
 誰も掲げる事も無くなった日の丸を祝日毎に玄関に掲げていたものである。 主張することの何一つない人生において、これは極めて珍しい鮮やかな行動であった。

 海の子である、とは語っていた。 海岸混血偉人のラインも少なくないと思われる。 前に妄りに日本国史上の国際的疑惑の偉人名を連ねた事がある。 一つに、新し家の混血子孫が各地域を歩いたという想像を立てたのであったが、案外単純に海外人との出会いに過ぎなかったのかもしれない。 この場合女性であるから、その家の庶子ということになる。 他の場合母の不倫児疑いということになろう。 

 上の家の父親の父は上述の立場から、遥かみちのく湯田から渡来した家系の女性を娶ったようである。 ここでぜにむの家の子孫でもある事になる。 
 映画出演。 これは「儀式」映画である。 明らかに、外が浜の鳥殺し血塗れ能演技にヒントを得たものである。 天皇陛下から浴びせられたイギリス人の屈辱「薬を使って体の一部(香港)を食うもの」と、アメリカ公使の天皇陛下に会えなかった屈辱コブラ動物のように観察されただけの屈辱の二つを、身代わり祓いさせる儀式、亡霊の能。
 禊。 塗れたのは特殊な泥地にであったと思われる。 でなければつなぎのように、らくだのシャツのように、ウルトラセブンのようにぴったりと身を覆う事はできなかったはずである。 野外であったことは確かである。
 汚物悪口は誤りである。 汚物に落ちた西洋人はいなかった。 とにかくこの儀式によって、アメリカのスーパーマンは汚物疑惑から免れた清清しい空の空気の中を飛び交える、という文化表現に出会えたのである。 汚物の表現も臭くない。 日本語のおしっこである。 どこまでも日本のは顔まですっぽりであった。 
 共産国と自由国の対立がゴルバチョフレーガン二大統領の登場によって瓦解してしまった時点で、この隠蔽と誤解と代行の儀式呪縛問は解かれたようである。 レーガン氏はアルキメデスの大言通りテコによって地球を動かして見せたという事にもなる。
 このように一つ一つ百年二百年かけて大綱題目は幕を下ろしているのである。     

 上の家の父親は 「リヤカー運び人」 宿命の人生のまま、66歳で亡くなっている。 30代の脳卒中で、40過ぎにようやく2ヶ月契約の会計係の仕事に就く。 「手取りビリ」 人並みにボーナスももらったこともなく、退職金ももらったこともなく、老後の年金生活の趣味一日も味わえずに人生を終えてしまった。 最後まで手取り十万円、子供に学費を出す力があるとは頭から考えていなかったのであろう。 家を守る、家族が生きていく、それだけの願いで踏ん張ってきたものと想像される。 上の家の財産を無くさないよう、上の家の人達にいつでも役に立つよう、自分の喜びを抑えて生きてきた人生であった。 テレビも見た事もなく趣味に本も読んだ事もない、食後のさ湯を飲む以外に一服するということを実に知らない一生涯であった。