いくらかずつお互いのルーツの見晴らしが利くようになってきた

 梶谷氏の上陸推定地は金華山ではなく岩手県久慈市辺り、河原氏の上陸推定地は北海道小樽市辺りか。
 前に梶谷氏の苗字を深い訳も無く鹿児島県内の苗字と同根であると決め付けていた事があったが、今回少し事情通水準がアップしたことにより、佐賀県の梶谷氏がスタート地点であろうというより妥当な推理が成立することとなった。
 河原氏の場合、アリューシャンとか小笠原とか太平洋上の孤島のヒントがあったのであるが、鹿児島の徳之島辺りという前回の推定もあった。 藩を越えた江戸時代中の鹿児島処分というものがあった。 当て推量であるが、上原氏は関東は武蔵、山麓部上原村において何か書類紛失の振る舞いに及んだ人の子孫ではなかったろうか。 鹿児島にも多い苗字であるが、鹿児島由来のものではなかったようである。
 加治屋氏の場合佐賀から屯田兵として北海道に渡ったと推理しているのであるが、石原氏の場合ももしかして小樽辺りに屯田兵として移住していたのかもしれない。 梶谷氏は恐らく原住民と混血していたのかもしれない。 混血スタートが少なくないようである。
 三浦氏も人数が多いようである。 開拓時代、移住人口の多い出身地は、秋田山形宮城の三藩であったという。 秋田は大苗字でもない三浦人口が際立って多いという他県にはない特徴を有している所である。 何故か三浦氏が集中して流れ込んでいたようである。 参考になるかどうか、青森は工藤、佐々木、木村、岩手は佐々木、菊池、山形は鈴木、斎藤、宮城は鈴木が他県に比して多いようである。
 西洋人との混血がない場合もあるようだ。 「ロ施設でなく中国なんだよ」
 調べ始めの頃、江戸時代中にも薬品を使った顔整形術があったようなことを書いていたが、遺伝子天然の美男子ばかりで並んでいたのである。 歴史社会に登場する運命の者は美男子でなければならない、というのが一つの大原則であって、そのようにこそ大々的に手を尽くされ、配合工夫されて来たのである。
 異なったケースであるが、福沢氏をろくぶだなどと、組織から音を立てていた事があったそうであるが、全く滅茶苦茶な誹謗である。 昔にみちのくと縁があったことがあって、山麓部縁などとからかったのであろう。 このように山麓部縁にすぎない人をろくぶ、ろくぶと呼ぶ事があったようである。 河原氏等も奥多摩山中のルーツ等によって言われかねないのである。

 更に、関連も無い遠くの話を付け加えれば、ハム族セム族はアーリア人とは別個の由来を有している人々なのかもしれない。 エジプト人の像を見れば見るほど東アジア人に似て見えてくる。 顔が特徴的に平であると描写される朝鮮民族セム族の静かな頬のラインとの共通性も目を引く。 ユダヤ人は、地名そのままにアラビア半島南端のアデンから現れた人達なのかも知れない。
 地中海人の一種であると言われている「ハワイ人」との繋がりから、エジプト人が日本人に似て見えてくるという解はあるよ、と先生からのご発言があった。
 古代文明は、シュメール人ドラヴィダ人、広頭エジプト人エーゲ海人によって始められたものであり、アーリア人セム人、古代ギリシア人やローマ人はその後継者達である。