犯人に気が付くという大きなスペースがゆるゆると空いている

   (第一ページと同じくサンプル写真から。)

世の中である。
 犯人のよく言うことに、日本人本当に犯人知らずだ。
 頭に犯人というものがいなくなっている人もいる。 犯人はどこかで真実に他人に害を為しているのである。
 その犯人の追求もなしに希望もなしに、正月に神様を拝んでもふがいない事ではないか。
 犯人に気が付くということは、運動を知り、意識して暮らしていれば容易な事である。
 犯人は市民に隠れて陰から鉄砲を撃っているのではない、必ず、自分の目の前に立って声を掛けているのである。
 
 男達は皆、敵に気が付き、闘って負けたのではない。 何と百パーセント、対人関係的にだまされてきたのである。
 ここの安全情報を読むしか、普及を頼むしか将来が無いとつくづく思われてくる。
 男も女もなく食べてしまうのであるから、女性の被害ばかりがある運動ではありませんが、女性の皆さん、もはや思い切ってここの情報活動を応援することに人生を賭けてみてはどうですか。

 組織に乗せられてコピー係りなど相手に口をそろえていたってどうしようもないのではないか。 
 誰かと命の引き換えにある迷惑ではないのである。 一切が過去の膨大な歴史作業に因のある、決着としての大作戦なのである。
 一人二人ではどうしようもなくても、人数多く読めば必ずだまされにくい国民になり得る。 人類史大団円のきっかけとなり得る。