「る」 と 「後」 とで日本国土は解明される 


 

1. る。 日本国史においてなかなかの著名人の多数派であるようだ。 スタートにおいて、庶子であることを伏せて旧家名家に抱え込まれ、出世街道を驀進した懐かしい文学者や政治家も少なくないと見ている。 ロシア人との混血。 シベリア流刑者の子孫という意味であろうか。 ユダ自治州も近くにある。 ロシアは政治犯等を多く流刑者としてシベリアに送っている。 ソ連時代にもスターリンの収容所送りは有名である。 最も幹の太いルートであったのかもしれない。
 2. 「罪のない」島津藩の人達  「島津藩側」の決行で200年来の家屋敷を追われた人達がいたのではないかと思われる。 「仁義のない戦い」 を強いるものだ。 仁義とは人間にふさわしい大義名分のことを言うのであろう。 同じ日本人を裏切るようなことをしていては、今に外国人に占領されてしまうんだ。 
 「発端においては、私達は何の罪もないのである。」 仁義無くも理不尽にも押し出し作戦に遭わされ、打ち砕かれて、組織のバスに乗せられ、作戦を押し付けられてしまった身の上でしかない。 「言い知れない」 とは運動員徴発の為のこのような無茶苦茶な日本人切り作戦の事等を言うのであろう。 外国にまで逃げた人がいるようである。 自爆させられた、というに等しいであろう。
 3. 陸奥地からのスタート 新田郷と本内部落からの出立ばかり考えそうであるが、「後」 街道から出で立った人達こそ重量が大きいようである。 見晴らしの利くある人が、新田郷の者達など偉くないよ良くないよ、と語っているそうである。 江戸時代中の事であるが、本内部落の場合、三姉妹の他は、新し家のおとうさんが、ハイ、お任せ下さい、と義勇兵みたいにさっぱりと挙手して、「る」 美人と沢山派遣子孫を持っただけではないかと想像推理する
 国外派遣はこの若い燕美男型の「る」美人混血と、新田郷各家の娘さん方ばかりであったろうか。 「後」からの派遣はなかったのかどうか。
 「る」美人と会ったパパおしゃれのお父さんと三姉妹のキャラクターを採用した映画が、「アフリカの女王」 であるようである。
 5. 上の家の前主人として土方奮闘した人は、上記日本人切りの災禍の中、父親が血塗れ儀式映画に出たことを咎められ、建具師養家で千葉真一みたいな剛の者ともみあい、傍らにあった鑿で刺傷してしまった事があったのではないかという報告があった。 警察から逃れ歩く道を進んでしまったようである。 「ノミ」 「風と共に去りぬ」 のように逃亡者となって警察の目をかわしてしまうのであるが、被害者となった相手方の男性はもしかして、学友として熱心に声を掛けに来ただけであったのか。 背景として、父親の大仕事自爆の後を受けて、藩からの恵みとして商業高校に入れてもらっていた事があったという。  
 警察の目をかわして生きていくしかない「逃亡者」の身の上では、ハリハリとした面目が立ち難かったのではないかと想像する。