かつては、デカブリストの乱の活動家達がルーツであったという情報。

 1825年。 判決を受けた579人の内、5人が処刑。 574人がカザフ、極東、シベリアに送られていた。
 政治犯の極東送りというのは珍しい事ではないのだろうか。 ロシア国内における、革命にまで至る一連の反帝政蜂起行動の原点である。 ナポレオン軍を追って仏国に入った貴族達の覚醒に因したものであるという。
 直接の子孫であれば、1850年頃の入国となる。