やんごとなき花武者伝と西蔵仕置きとの関わり等人類学的推理

 ある東洋人の先生の指摘から辿り始めた古代史の推理であったが、東胡、大興安嶺山麓の民族、あるいは別名鮮卑族に、日本の天孫族の原点があり、また隋、唐の王族のルーツがある可能性がある、とウィキペディアなどにも書かれている。 杜甫李白も疑われている。 胡族であるから、チュルク的特徴を有していたと思われる。 ある時期大人数の中国移住同化があったと記されている。 
 人並みはずれて額が長いといった顔の特徴ばかりの事ではなかろうが、日本国の貴族武士子孫達に何か水際立ったいわく由来の語り伝えがあるようである。 言ってしまおうか、などと時々言われる事がある。 式台上の運命に預かってやんごとなき人達であり、ルーツによって最初から別け隔てられてきた人達である、ということなのかもしれない。 
 隋の時代のことかもしれない。 西王母東王父東王父、秦始皇帝が目指した亀島蓬莱島が傍らの島国にあることに気づき、永遠の呪いに、ある一族をチベット高原の向かい側に封じようとした時、この島国の民族のルーツを探索したものと推理される。 同一のもので祓おうではないか。 興安嶺を下れば、バイカル湖近辺のブリヤート族に当たる。 一大儀式であれば、博捜した挙句にとうとう見つけた程のものであると推理される。 今遺伝子検査によって見事にブリヤート族と日本民族と不思議なことに遠く離れたチベット民族との一体性が証明されている。
 イベリア半島に基本的に日本人がいるのではないかという疑惑についての一回答。
 現代の人類は主に二ルートによってアフリカを脱出したのであるらしい。
 一つはアラビアを通って東南アジア等へ。
 一つはジブラルタルを通ってヨーロッパへ。 大西洋岸にまとまって誕生し、発展した巨石文化の担い手達なのであろう。 このことによっていろいろな繋がりの疑惑が解かれるようである。 日本人に似た顔は古代エジプトの絵にも多く残されている。 古代エジプト文明のエジプト人達はモロッコから来たようであるという説がある。 何と古代文明はすべて、このモロッコ発の巨石文化人達によって成し遂げられたのではないか、という疑惑が今立てられているのである。
 メソポタミアなら、シュメール人。 インダスなら、ドラヴィタ人。 すべて頭の幅が大きいという共通性がある。 この特徴はインドネシアに伸び、更にフィリピン人、そして九州の薩摩隼人にまで及んでいると推定されるようである。
 古代文明とは例外なく巨石石工技術による都市建築文化である。 文明スタート時点において、都市計画に地下通路の視点があることもなかなか発明な事である。
 アルタミラの洞窟を描いた人達の顔形は五角形である、と百科事典に書かれていた。 ブリトン人というのもこの範疇に属するのであろうか。
 ビデオ資料では、このジブラルタル系統はやがてヨーロッパを東進し、中央アジア辺りまでは進行したようだ、という表現である。
 背の低い丸顔東欧系の説明になろうか。
 結論として、イベリア半島に日本人由来の基本人口はいなかったということになろう。 オリエントの東洋人的特徴もアジアから来たのではなく、モロッコ由来であると決定されようか。