善右衛門の顔はナポレオンにも似ていた。

 西部劇に登場する宍戸城氏そっくりの俳優が、その原型顔をモデルモチーフとした例であったと思われる。
 ここで善右衛門が宍戸城氏に似ていることは、全くの他人の空似ではなく、訳あることであって、沢内高橋落人伝説のまた一つの傍証となり得ることであることを示したい。
 沢内高橋氏の先祖が平家物語に登場しているように、木曽軍との戦いで落ち延びたグループの一つである可能性は高い。 落人伝説はそんなにやたらに偏在しているものではなく、歴史に残る戦いと関連ある限りに伝えられている事である。 奥羽山脈系列の真実性は高い。
 肥後の産である、と確定されていることで事実的ではあったが、大宰府との繋がりが不明なままであった。 ところがこの間、熊本菊池市鞠智城という重要な城跡が発掘されたという記事を目にすることができた。 この城の名こそ、菊池市の名の源であり、全国の菊池さんの名前の源である。
 鞠あるいは菊というのは、九州高橋氏の頭の特徴を指した渾名のような名前であったのである。 マリのような頭の形から一連の菊名称がスタートしたことを教えてくれる重大な発掘記事であった。 御礼を申し上げたい。
 肥後菊池市の高橋氏が、侍大将一族の者として木曾軍と越後越中で戦ったことまでは定かなことと言えよう。 それが沢内肥後の高橋落人に繋がることに無理はなかった。 自然な地理的歴史的一致があった。
 ところで宍戸氏は白石の出身であったようで、中世に広島から茨城に渡り、伊達藩内で務めてきた一族の子孫なのであろう。
 乱暴な推論になるのであるが、広島において高橋氏と繋がりを持つことは十分にあり得ることである。 高橋氏と一戦を交えたという、ウェブの歴史記事があった。
 善右衛門は沢内通り中心の家の者ではないから、この特徴は千年の間に西和賀一帯に広まっていたものと想像される。
 エリツィン元大統領のような立ち眉毛の特徴も、恐らくはこの鞠智城高橋氏が持ち込んだ村落一般の遺伝子と推理することができる。
 かつて宍戸氏が住んでいたと思われる宍戸城の幕末の城主は徳川氏であった。 そのお姫様が確か三島由紀夫氏の祖母であったはずである。