上の家の父母は裏切り強奪を働いて上の家に上がったのではない。

 上の家仁左衛門は、組織が初めて近づいた時にも、護摩壇を前にして息災降伏を祈願修法中であったという。
 江戸時代の記録を逸しているが、藤原氏以来の社格を伝えている地域のリーダーであったことは間違いないようである。
 護摩壇修法中を目撃していたということによって、次のメモが最終的に解読されることになる。
 木を高く組んで火を燃やしているが、「葬式中」 だな。
 宗教か。
 何だあれ。 焼くものだ。
 飲み食いもなく、先祖由来の財産が減って行くことだけを申し訳ながって、朝早くから踏ん張ってきた姿を見て、仁左衛門達もこの間の父母は肯っているものと想像する。
 しかし毎日の節約勤倹生活の上に、本物の 「sinking sinking」 の悪運、沈没に向かう手が、延々と絶え間なく重ねられる。 人のせいにばかりはできないが、連続的なマイナスの手であることには変わりない。 地元組織員の一部に、これで全滅、と確信されていたという。
 そして遂には、人と並んで息をする一日も知らずに、国民に当然の年金生活の長寿にも及ばす、現実に亡くなってしまっているのである。
 顔を見たら 「大貫人」 と思え、と言い得るほどの、広い、ズルイとぼけた世の中に、情けない事である。 新旧 「大貫」 幽鬼人が正直者を永遠に笑い返すままの人の世の中なのであろうか。