つ、つ、月夜だ、皆出ておいで

 今の子孫達とは関係のない話であるが、家族の願いが珍道の国に立て掛けられていた。
 (上の家の話など目の端にも入っていない遠い昔のことである。)
 「珍道原住民が火事やら毒やら色道楽で消え失せてしまった後の、この月見一番の孫子文化の土地でまた再会しよう。」
 海より深い再会の願い。
 中国王朝のミッションを深く胸に秘めて乗り込んだ先祖だったのかもしれない。
 ここの所に、上の家の話が入り込むから紛らわしくなる話であるが、組織からすればおんぶに抱っこの託卵詐欺に遭ったに等しいことであったのか。
 おじいちゃん、と呼べる者か。 顔が似ているようだといって、ドイツの首相にまでなっているルックスグループがあるという噂を聞いたことがあるが、顔をよおっく見るとへたな奴だな。 パヤッ、パヤッ(だ)。 「パパ嫌(いや)って言ってるよ。」 「パッパッ。」 と親身な世話に預かったこともあった一頃の消息が思い出されるようである。
 「なんて言ったってそんなへたな奴におじいちゃんと言われにくいな。 パヤッでいいんだよ。」 とこういう始末で終わったようである。 伝記がないんだよ。 ミッシングしたな。 電気ミッシング。 大家族意識を頼みたかったのであろう。
 「やっぱりお前は出て行くんだな」 「出て行くんだろ、勝手にしやがれ」 という歌の文句があるが、時々の使用の事情はさて置いて、一番奥のセリフの主は組織であったと推理される。
 じゃ恩義大なる仁義の船に乗るか。 それで、自分達のミッションか願いしかない者なのだろうか。 やっぱり、出て行くんだな。 丸っきり船に乗って子孫増やして、と大変なミッシングであったのであろう。 大将だ、と呼ばれていたらしい。
 托卵罪か知らないが、途中から地下が嫌になっただけの事なのかもしれない。
 各チルドレンが珍道中に散っているように、やはり南の島から北まで、広く展開しておられたようで、川口和恵さんも、井上通草さんも、やはりおじいさんの言う通りにか、最初は組織と縁を切って潜んで暮らしておられたようであるが、見つけられて無理矢理引っ張られてしまった、というような経歴を洩らしておられるという。
 沖縄の澤田憲一さんは、直さん系列の人と見ているが、あの者の歌は絶対嫌だ、ファミリーの歌を歌わせてくれといって歌ったのが、許して尽くしてそばにいて、オォニーナだそうであるが、これはフランク長井の絶曲 「御前に」 と全く同じくファミリー仁義の由来を物語る歌なのである。
 珍島国が誇る名指揮者大沢誠太郎氏も、その御前に当る家の子孫の方であるという。 大連の出身なのである。 プロ野球の永遠のミスター同様極めて温厚なジェントルマン達である。 「勿忘草をあなたに」
 音楽家ばかりでなく、スポーツマン、学者政治家と賑やかなようであるが、やはりチルドレンの一人であろう林下幸子さんが歌う 「願いは一つ」 は、単に家族の願いであって、名立たる国見の山の端に出る月を、皆で眺める再会の宴を張ろうではないか、という道真望月の図に過ぎず、後何をしようというものではないと考えられる。
 幸少ない上の家の弟もこのファミリーの圏内に置かれようとしていたのかもしれない。 あまりの広がりにお互いに認知が渡らないことがある。 嫁の父親がファミリーの一人と思うとその顔貌が実に似つかわしい。 また九州生まれの父親でさえ、その母親がファミリー子孫である、と今頃教わることがあった。 祖母が湯田町母がファミリーということで決まったようである。
 意外なことであった。
 (コピー係りが40過ぎにもなってメッキ工場工員一年生に突っ込もうとした時、さすがにその者のその独り言に皆さん精々に関心を持って下さったようであるが、ちっぽけな消火器の向こう見ずぐらいの評価はあったのかもしれない。 ここはおとなしく勤めて酒を飲んでいればいいんだ、というのはなかなかの好意であった。
 どうせすっかり組織に乗っていて何を言っても、水工のポクシングにも届かない、玩具なアマチュア止まり、というのは、ある意味で、ファミリー先祖の自己ミッシングのこともおかしなことに思って表現していたことのようである。)
 森重隆也さんの先祖が、どうしてか横川目の国道で、奇特にも道に困っている外国人を車に乗せて、しかも地味に喉を鳴らせてまで接待してくれたというので、大変に感激したのか、珍島国の一番重役俳優に人生を全うすることとなり、また、わざとしたような地味な宗谷小唄の作詞作曲歌唱で、国民を捻るという高等軽業を果たしている、というような推理を記していたことがあったが、この場合も、その世話好きな先祖がファミリー子孫であったという基本事実と重なることによって、ピッタリと符牒が合うのである。
 西洋に行ってさえ、直さんの場合、モデルをやっていても子供が欲しい、と丸ごと若いような西洋人女性にもててしまって、その子孫が国の大統領にまでなっては、ある意味で一世界中華の花園図柄の、実現の一角を成しているのだという。
 東南アジアでも、モデル団が敢行して、チルドレン増産に走っていたことがあったそうで、大勢の外国人チルドレンに出あう世の中となっているようである。。