陸奥人はどこまで世界史に関わってきたか。

 ナポレオンとワシントンが、ロッキー山脈上の二つの州を二人のお棺のようにして、太平洋東方に今や遅しと、仲間のもう一人のラストサムライ登場を待ち侘びている、という世界史の構造が実際にあるからといって、そのナポレオンとワシントンが本来陸奥東洋人との血縁者であったいうことにはならない。
 ナポレオンとワシントンの遠縁血脈は逆に陸奥日本に輸入されていたと推理される。
 (1730年頃に、混血子孫が西和賀の地に輸入されていた様子である。 その縁で、隣のK市は、長くワシントンホテルの市となっていたのである。)
 (若き中尉姿の軍人が時計を見ているのは、誰か相手に時間制限を課しているのではなく、あまり遅い、と痺れを切らして時計を眺めているのである。 なんと、用意ドンと駆け比べスタートして、世界史永遠の英雄となって現れたフランス革命アメリカ独立の時から、200年以上も経っているのである。)
 ところでワシントンの顔を見ると、顔面に平らな所が見えて、東洋人的に感じる人がいるかもしれない。 
 このウェブで主張している、人類史の新たな一大ルートからも推理されるように、東洋人に似た平らな顔の特徴は、わざわざ陸奥日本から運ばなくとも、自然にエジプトにもあり、スペインにもあり、イギリスにもあった。 古代エジプト人の顔を見ると、日本人なら、えっこれは日本人をまねしている、と大概びっくりするはずである。
 エジプト人はまねたのでなく、本来東洋人にそっくりに平らな所のある民族であったのである。
 従って現代の西洋人にも、日本人に似て眼窩険しくない人が少なくないのであろう。
 顔で陸奥人がいたと決め付けることはできない。

 すでにバルカン人北欧人の誹謗的摘出作戦は明かされ、語られてきたことであった。
 ザ・ピーナッツの瞼の辺りが似ているというので、ドイツ人の一グループが、自覚的に友情出演を頼まれて登場しているという話もあった。 ザ・ピーナッツが西ドイツに行って大変に受けてきたことが、日本国の大ニュースであった時代もあった。
 ロシアが東洋の魔女の侵入をブロックしたのは、最初から図っていたことではなく、鑑定の上の決定であったという。 ハプスブルク王家のロシアで最後をという奮闘努力の背景となっていた事と思われる。 「俺にはお前が最後の女、・・・みちのく一人旅」 もしかしてロシアへの思い込みを歌った歌のセリフではなかろうか。
 東欧の人達が、自分達のルーツは大陸を越えたことはないようだ、と言っていると聞いたこともあったが、その信憑性が増してくる。
 膨らまして吹っかけたペテン的誇張の場合と、スリを働いて抜かした場合とがあって、陸奥人混血の実体は相当小さいか、あるいはほとんどないか、という疑いまで可能になってきたようである。